第弐話

 
 
「この世の中があんな馬鹿ばかりなら世界は平和だッ。実に目出度い事ダ!。真にしぶとい狒々爺だ。さっさとキリギリスと心中でも何でもすれば良いのに!あんな狒々爺を頼る人間も馬鹿だ!沢山食わせたら良いだけの話では無いか!」
 
 
 
相変わらずの訳の分からなさに僕達は机の影に隠れて顔を見合わせ途方に暮れた。ひと時の静寂。風圧で飛び上がった書類があちこちでぱらぱらと着地の音を立てた。
 
上意に隠れていた机が壁に吸い寄せられる様に移動した。
 
熊に追い掛け回されて草陰に隠れて、上意に見つかった時の気分はこんなの感じだろうとぼんやり思った。机は壁との衝撃音を立てて止まり、開けた視界からは噂の麗人にして奇奇怪怪な探偵が仁王立ちで立っていた。
 
「ゴキブリが二匹雁首揃えてこの…」
蹴られてしまう!と身を縮めた瞬間彼は上げた足を止めた。
 
「良いのが居るじゃないか!その女の人!それだ!」
 
一瞬何の事か分からず、頭が真っ白になったが彼の特性を思い出して
僕は彼の足を(念の為)捉えて地面に下ろすと立ち上がって彼に事の次第を説明した。
 
彼は、と言うと窓際にある彼自身の席にどっと座り
まあ、案の定、聞いてるのか聞いてないのか分からぬ様子で
机に足を上げたまま居眠りでもする様に目を閉じていた。
 
…寝ていたのかも知れない。
 
***
 
探偵は上意に立ち上がった。
 
「とりあえずその泣いてる人の所へ行く。行くぞカマゴキブリ!」
「ゴキッ!……いえあの…探すのはその人では無くてさっき言った通り最後の消息はですね…」
「余りにも泣きすぎだ。教えてやらないと恥をかく。」
「ええっ!?僕はまだ泣いてませんよ!」
 
訳が判らないが彼は道案内しろとばかりに僕の尻を蹴り
歩を促し車へ乗せた。遠慮無く蹴飛ばしてくれるから尻がヒリヒリと痛んだ。
 
「余り蹴り飛ばすと尻が壊れてしまいますよぅ」
「お前の尻など三つにでも四つにでもすると良い!」
「そんなぁ〜…」
 
件の家は街の外れに在った。
家を拡張しているのか土壁は一部壊されて居たのが
もうすっかり新調され、今回はキチンと玄関の戸を叩く事になった。
 
返事がして暫く待たされた後、戸は開かれた。
件の友人は戸のすぐ側に立っていた我が探偵の顔を見るなり
まるで石像の様に固まってしまった。
 
「あの…」
僕が彼の脇からそっと顔を出すと「ああ!」と素っ頓狂な声を出し
彼女は硬直から解けて、すぐさま怪訝な顔をした。
 
「あの…何かご用事でしょうか…?」
「用も無いのにこんな所に来る程暇では無いのです、お嬢さん。
余り泣きすぎるとバレる。次から気をつけたほうが良い。後、
改築は無駄になったが広いに越した事無い。あっちが悪いのだ。
もらったお金は貰ったままで居なさい」
 
彼女は訳が分からずに僕の顔を見る――と思いきや
青ざめた顔でわなわなとその唇を振るわせた。
 
「あと彼女の振りをして入れ替わっても突っ返される。
そんな訳の分からぬ頼みなど断ってしまうと良い。
僕は探偵だ。嘘はつかない。きっと突返される」
 
僕は探偵の脇から彼女の顔と頭上の彼の顔を見比べた。
何の話か僕のはさっぱりだったが…
 
彼女は魂が抜かれた様になってすとん、と床に崩れ落ちた。
そんな彼女の頭上を半目になって見るとうわ言の様にこっちじゃ無かったなぁ、と愚痴た後「預かり物は返してしまいなさい。以上、分かったね!」
 
彼はそれだけ言うとさっさと踵を返して行ってしまった。
 
僕は茫然自失となった彼女が気にならない訳でもなかったが、
探偵を野放しにしている方がよっぽど大事になりそうな気がしたので
後ろ髪を引かれる思いでその場を去った。
 
「待って!待って下さいよぅ」
「依頼人の家は何処だ」
「え?」
「実に上愉快だ。その依頼人に逢う」
 
また、尻を蹴られた。榎木津さんは僕の事を一体なんだと思ってるんだろうか。
よもや靴の底を拭く布か何かだと思ってはしないかと本気で疑ってしまう
 
ちらり、と彼を振り返ると半目になって僕を見ていた探偵は
「靴の裏拭き太郎、さっさと案内しろ!」と言った。
 
僕の記憶に何かソレらしいモノでも見えたのだろうか…。
彼の頭の中は本当に分からない。
 
自分が何物の下に集ってるのか分からない何ておかしな話だと思う。
しかも今まで職が在ったにも関わらず、それらを投げ捨ててこの訳の分からない男に頼まれても無いのに弟子入りしたのだから…傍目には酔狂としか言い様が無いだろうな。
 
探偵に蹴られぬよう早足で件の依頼人宅へ着いたものの
これから探偵が何をやらかすか、と思うと玄関を叩く事が躊躇われた。
 
古めかしい門の前に立ち尽くす僕を気にもせず
探偵はさっさとその扉を叩いた。
 
「何か御用ですか?」この間、僕が訪ねてきた時には居なかった使用人らしき老婆が門を開けた。
 
「薔薇十字探偵社より参りました。榎木津礼二郎と申します」
「探偵…」
 
使用人は酷く訝しげな顔をして奥に引っ込むと慌てた様に
中から玉砂利を蹴って駆けて来る足音が幾つか聞こえた。
 
僕は滅多に見られない探偵のまともな受け答えに驚き固まってしまっていた。
 
大きな門が慌しく開き、目でも回さんばかり勢いで
依頼人夫婦は探偵を招きいれたが探偵は「ここで結構です」と断った。
 
「こ、こ、こ、こ、」
「にわとりの真似は結構です」
「わざわざお出向き頂かなくとも榎木津元子爵様のご子息様ともあろうお方に…」
「あの狒々爺と僕とは関係ありますが関係無いのです。僕はご子息では無く探偵です」
「え…でも…あの榎木津…礼二郎様…ですよね…」
 
主人は横に立つ幸の薄そうな婦人の顔を見たのを受けて
婦人は「私、写真でお見かけした事がありますが…《と頷いた。
 
「それよりも今日は依頼の件で来たのです」
「依頼…」
 
夫婦はまるで覚えが無いとばかりに視線を彷徨わせた挙句
その子爵のご子息である探偵の背後に隠れて固まっている僕を
初めて認識した様だった。酷い扱いだ。
 
「それでは見つかったので…」
「馬鹿を行ってはいけない。この馬鹿オロカならともかく僕の目は誤魔化せませんよ」
 
夫婦は青ざめ、その顔を引きつらせたがそれに追い込みをかける様に
探偵はずい、と二人に近づき彼らの頭上辺りを見て半目になった。
 
「いっそ小気味が良い位だね。その良く育った娘さんをそのまま嫁に出すと良い。きっと喜ばれる。それだけを言いに来たんです。好みは好き好きですよ」
「何故それを…」
「なぜなら僕は探偵だからです。外聞は気にしすぎると上幸になる
適当にして下さい。どうかお幸せに」
 
帰るぞ、と僕の鳩尾に軽いパンチをして僕が悶えている間に彼は踵を返して
さっさと一人家路についてしまった。
 
取り残された僕は…しばらく途方に暮れていたが
気を取り直すと、彼の奇行と失礼を詫びたがあちらのご夫婦は
僕に平謝りを繰り返すばかりだった。
 
謝礼は結局受け取った。何も解決付いていないからと断ったものの
押し付けられる様に何度も渡されてしまったので断るのも無粋な気がしたのだ。
 
何が起こってたのかさっぱり摑めずに僕はただ
もうすっかり暗くなってしまった道を一人引き返したのだった。
 
 
***
 
「…と、言う訳なのです」
「それで何故僕の所に邪魔しに来なければならないのだね、毎回毎回君は…」
「此処に来ると毎回救われているからまた来るんですよ」
「では次を失くす為には僕は黙っているのが一番だね。おちおち本も読んじゃいられない」
「そんなーー!」
 
――結局、僕は中野に棲む、失礼。済むこの馴染みの古本屋の店主に逢いに来た。(尤も此処の本とは彼の時折持ち出す妖怪絵図以外には馴染んだ事が無い訳だが…)
 
店主は相変わらずの仏張面で床の間を背に本を読んでいたが
僕が来るのを横目に見て更に上機嫌になった様な気がするのはきっと気のせいだ。そう思おう。
 
余りに毎回毎回頼りすぎた所為でこの家の配置も頭にしっかり入っていた。そのお陰で僕は店主の知らない「奥さんがいつも茶葉を入れている引き出し《を知っていたので僕はご機嫌を伺うかの様に彼に薄くないお茶を入れる事が出来た。
 
勿論彼の好きな甘味の用意も忘れては居ない。
…要するにもうそろそろ叩き出されかねないので精一杯の揉み手をした、と言う訳だ。
 
件の本屋は微塵も顔を緩ませる事無く相変わらず上機嫌そうに本に目を落としていた。
 
「要するに益田君は円満解決すればすっきりするのだろう?」
「そりゃそうですよ。人事でも辛いより幸せの方が良いに決まってます!」
「じゃあ良いじゃないか。榎さんはお幸せに、と言ったのだろう。円満解決してるよ」
「僕が請け負った仕事なのに意味も分からず解決したんではやり切れませんよ」
 
本屋はずっと本に目を落としながら話して居たが相手をしてくれる覚悟が(諦めか?)
出来たのか大きな溜息を付き、気だるそうに髪を掻き揚げながら僕を見て…珍しく、少し柔かい顔をした。
 
「面倒臭いなぁ。君は…」
「なんとでも云って下さい。それで知りたい事が知れるならお安いものです」
「聞くまで帰らないつもりなのだろう?」
「ええ、一歩も動きません!よしんば帰ったとして眠れません」
 
本屋はさもあらんと首を揺らすと事の流れを語り始めた。
 
「君への依頼は遠巻きな榎さんへの訴えだった、と言う話だったんだ。
子爵に呼び出されたのだろう?此処にも電話があったそうでね。千鶴子へ言付けを残していたのだが帰宅して事務所へ電話をしたら解決したと言うから僕は――」
「結局僕は何だったんです?」
「今回の依頼人は君を使って榎さんに、ついては子爵に、そしてその子爵と親しい政略結婚の相手先に?娘は失踪した?と伝えたかったんだろうね。非常に回りくどい話だがそれだけの単純な話だよ」
 
彼の口から回りくどい、と言う言葉が出るのがおかしい気はしたが
上興を買うと怖いので言葉を飲み込み頷いた。どんな追い込み方をされるかわかったもんじゃない。
 
「力関係でも在ったのだろうね。ともかく、二年も放っておいた訳では無く探す必要が無かったから探さなかった。家に居たんだろう、外には出さなかったけれど」
「どうしてです?」
「外に出してはみっともないと思ったのか、外に出して笑われたのか…」
「どういう状態です?」
 
「子爵は千鶴子に?知り合いにでっぷりとした豊満な女性は居ないか?と聞いたらしい」
「それとこれと――ッああ!」
「そう云う事だ。変に隠し立てしなければさっさと終わる話だった」
「だったら何故?失踪した?なんて…」
 
「榎さんは娘さんのご友人に?入れ替わっても…?と言っていたのだろう?例えばご友人と娘さんが二人写っている写真を相手方が見てどちらが娘か、と聞かれたら…日頃みっともない姿になった、と恥じている親はどちらを指すだろうか。
 
まさか婚約を打診されるとは思ってなかったのか、その場凌ぎに嘘を付き…打診する方は相手を信用してるぞ、と言う証として打診した結婚話なのだから見栄えなど気にはしていなかったが持って帰った写真を見て息子が酷く渋った。酷く痩せた男だそうだね、劣等感からか、豊満な人に惹かれる性質だったのだろう。
 
そこで親は初めて息子の譲れない趣向を知って打診した話は兎も角別件を探そうとして子爵に相談をした、と言う――、一方打診された方は勿論嘘を付いている訳だから居なくなった、と嘘を付こうと娘さんを家の増築費用と共にご友人に託したが、結婚話は云わば先方との結びつきを深める意味を持っていたのが白紙になる、と確定した途端惜しくなったのだろう。ご友人に入れ替わりを打診して――其処に榎さんが現れた訳だ」
 
僕は一気に背骨を抜かれた様な虚脱感を覚えた。
 
「そんな話!僕は馬鹿みたいじゃないですか!」
「想像だけどね、この通りなら馬鹿は君だけじゃないし、それに君は大役を果たしたじゃないか…榎さんにそのご友人を見せたから榎さんは動く気になったのであって、下手したら面倒だと断って娘さんもご友人も上幸になっていた可能性も在る」
「でも…」
 
尻を蹴られ、尻を蹴られ、尻を蹴られ続けてたったこれだけの役割だったとは!何ともやり切れない話じゃないか…
 
「あ、でもそのご友人は本当に凄く泣いて…」
「人は本当に悲しい時はそんなに激しく泣くものだろうかね」
「…僕は…間抜けですね」
「そうだね。有益な間抜けだった訳だ」
 
目の前の本屋は暫く真顔で僕を見ていたが堪えきれない、とばかりに
少しばかり噴出したので僕はもうむくれるしか無かった。
 
「まあ、そんなに怒らなくとも良いじゃ無いか」
「榎木津さんにも無残に扱われ、和寅さんにも散々に言われ、
此処でも笑われたのではもうむくれるしかないですよぉ!」
「無残な扱いの割には此処に遊びに来ては君の話をするがね」
 
「どうせ悪口でしょう。分かってるんです。僕の繊細な心に
これ以上塩を刷り込まないで下さい。泣きますよ」
「まあ、そうだけど榎さんは実に楽しそうに君の話をする」
 
酷い扱いと云うのは慢性的に受けていると幸福水準が下がってしまって
少しばかりの幸福が…
 
 
――ほら、こんなに嬉しくなって困るんだ。
 
「しかし、如何してそんなにでっぷりと育ったんですかねぇ…」
「目が無くなる程の好物でも見つけたのだろう。ひょっとしたら件のご友人が差し上げた甘味か何かを気に入って…と言う事も可能性もあるね。演技とは言え真実を孕まない嘘はとっさに出にくいものさ」
 
いつもならこの人は確証の無い事を言わないのだが
これが正しくても間違っていても本人同士は幸せになっていると言う事実は変わらないからであろうか、彼はいつもと違って非常に気の抜けた話し方をした。
 
「お邪魔してすみませんでした」
 
手の平を返す様に悲痛な顔からにやけ顔になった僕を
本屋は珍しく高らかに笑って僕にさっさと帰れ、と手の甲を向けひらひらさせた。
 
僕はそのまま跳ねる様に事務所に帰った。特に用事があった訳ではない。
ただ、何かが高ぶっただけの話だった。
 
扉を開けるなり「帰れ!」と罵倒されたが中禅寺さんのあの言葉が
弾む心を維持させた。
 
件の探偵は自らの指定席にどっぷりと凭れ、大きな足を机に放り投げて
今まで転寝でもしていたのかまだ眠そうな目をこちらへ向けた。
 
「カマだカマだとは思っては居たが、京極堂から何処へも寄らずに
此処へ直行するとはお前は男色の気が在るに違いない!」
「違いますよ!部下が上司の下に集うのは当たり前じゃ無いですか!」
「雇った覚えなど無い!」
「覚えて下さいよ!何時だって何でも言う事を聞いているじゃないですか!」
 
探偵は僕を暫くじいと見つめていたが上意にその目を輝かせた。
 
「何でも聞くのだな!」
「何だって言う事聞きますよ!今までだって聞いてたじゃないですかぁ!」
「じゃぁ幽霊になって逢いに来い!」
「ええーっ!死ねって事ですかぁ?」
 
「半分位で良いのダ!どんなのか見たい!見れなかったら成仏してしまったとみなすぞ!幽霊になって人から見えなくてとんでもない事をしたお前の記憶を見てやるゾ!」
 
真顔で机の上の三角錐を手で弄びながら探偵は特別何もおかしい所は無い、と言った顔でそう言い放った。その隣で盆を胸に抱きかかえて和寅さんは笑っていた。
 
僕は延々と彼らに意義を申し立てるも聞き入れられる事が無い事を僕は知っている。
 
でも相変わらずの報われなさすら、良いじゃないか
なんて気にもなってくる自分が恨めしい。
 
嗚呼、本当に下僕に成り下がってしまったのだな、と僕は思わず笑った。
 
「一人でにやにやと笑っているぞ、気持ちの悪い!和寅、叩き出しついでに塩を掛けて溶かしてしまえ!!中ではやるなよ、掃除が面倒だ!」
 
 
【終わり】
 
 
 

駄文同盟.com

inserted by FC2 system 耀