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榎木津さんの生まれた時を想像してみました。


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「おー!良い子だ礼二郎!おお愛い。天骨の匂いを嗅いであげよう ――うははははは。なんて愛いんだ。」

安和は湯から上げられたばかりの赤子が気持ち良く眠れる様に布団のシーツを替えようと思っていたのだが件の赤子がその父親によって連れ去られてしまったので手にした真っ白なシーツを抱えたまま口をぽかんと開けて突っ立っているしかやる事が無くなった。

ふと気配を感じて視線を落とすと自分の横に
また同じくしてぽかんと口を開けて突っ立っている先ほど連れ去られた赤子と血を同じくする少年が覚えたてのたどたどしくも少し背伸びした口調で「和寅さん」と声を掛けてきた。

「何でしょう?」
「お父様は…変だね」

思わず吹き出しそうになるもその表情があまりにも真剣なのでぐっと堪えシーツを抱えたまま少年に視線を合わせる様に身をかがめた、

「お父様は誰よりも賢いお方なのですよ」
「でも…」と彼は今し方閉まったその扉を指差した。

他の大人と違って感情を隠そうともせずに動く自分の父親を不思議に思ったのだろう
「お父様は子供みたいだ」と不満そうにつぶやいた。

「総一郎様、お父様は少し変わっておられますでしょう?」
「うん…少し恥ずかしい…」
「でも恥ず事など何処にも無いのですよ?」
「うん?」
「総一郎様がお生まれになった時もお父様はああいった感じでございました」

少年は黙って少しばかりはにかんだ。

「普通のお人は嬉しくてもああは正直に喜びますまい。男だから、
大人だからと堪えてしまう物なのですよ」
「お父様は我慢の出来ない人なの?」
「我慢しないお人なのです。先ほど、総一郎様の時も…と私がお話をした時
総一郎様はどう思われました?」
「恥ずかしい…でも…」

少年は嬉しさをかみ殺そうとしている様な顔をした。

「嬉しい気分にもおなりになりませんか?」
「う…ん」
「我慢しない方が良い時も在るのです。
あの方はその時とそうで無い時を見分ける目をお持ちだから
他のお人の様に何でもかんでも我慢なさる必要が無いのです。
それはとても凄い事なのですよ」

「そうなの?」
「ええ。本当は絶対出来ない事など世の中には少ないけど出来ないと思う事を
言い訳に視界を狭めてしまう事が普通に見えるのが悪い事なのですけどね」

少し話が難しかったのか少年は小首を傾げ少し考えた後
「僕もそんな目を持ってるかな?」と私に問いかけた。
「あなた方の目は旦那様にそっくりで御座います」と答えると
「礼二郎もそうなのかな?」と目を輝かせて聞いた。

「総一郎様と礼二郎様のお二方は風貌こそはお母様そっくりの美貌で有りますが
目の鋭さはお父上そっくりにございます」とほほ笑むと彼は父親に似た敏捷さで
父上の後を追い部屋に入っていった。

「お前も来たか!見ろ!弟だ。お前と同じで愛いだろう?」
「うん、とっても愛いね」
「礼二郎だ、名を呼んでやれ」
「礼二郎、僕がお兄ちゃんだよ」

赤子が泣き出したのが壁を挟んでも良く聞こえる。この子は強く逞しく育つ、と他人事で有りながら目頭が熱くなった。

「よしよし、総一郎の声が大きくて驚いたな、もっとしっかり泣け!」
「お父さんの声が大きいからだよ」
「嬉しくて声が大きくなって何が悪い!さぁ、二人でもっと泣かせよう!」

赤子の鳴き声が響き渡る。私はその声にほほ笑みながら先ほど大仕事を終えられた奥様のご機嫌を窺いに向かった。

奥様は私が室内に入ると困った様に笑い
「また攫われてしまいましたわね」と言った。
「ええ、本当に残念でございました」と私が笑うと奥様は「残念で泣けて来ますわ」ととても幸せそうに涙を一つお零しになった。

「取り返して参りましょうか?」とからかい半分で問うと
「無理ですよ。好きな様にさせてやって下さいな」と言いながら涙を拭き「流石に乳までは出ませんでしょうから、その時には返して下さるでしょう」と答えた。

「分かりませんよぉ?旦那様なら」言うと奥様はコロコロと笑った。

「もう少しお休みになって下さいね、男の私には分かりませんが大層大変なお役目を果たされた後なのですから。必要なものはなんなりと」
「ありがとう、少し眠るわね」

そう言って目を閉じる奥様は少し疲れが見えても陶器人形の如くお美しかった。私は足音を忍ばせゆっくりと部屋を出ると少しばかりため息を付いた。

幸せに当てられるとはこの様な事を言うのだろうか家で待っているだろう妻の顔が目に浮かび、今日は早く帰ろうとそう心に決めた。



【終わり】


***


いや、百器…の榎さん見ててあんな反応出来ると言う事は自分もそうされたんだろうな、と思いまして。それだけ。それだけに御座います。




京極堂は日頃動じないのだから
盛大に嫁に遊ばれてあたふたすれば良い
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