第一話



恋なんてしないと心の殻に閉じこもって
人なんて信じないと片意地張って重なる出来事に殻から引っ張り出され
出た世界は私には手に負えない混沌とした所だった。

ずっと逃げていた罰だろうか…
だったら私は一体どうするべきだったのか…

神様はいつだって正解を教えてはくれない。

グルグルと叶わない内容のモノばかりが頭をよぎり
私は何度も何度もため息をついた。

目の前に幼き日の妖精との逢瀬が浮かぶ。
その眩い容姿をした彼の笑顔が現在の彼の笑顔と重なる。

そう言われてみれば何故気が付かなかったのだろうと思う程
彼の容姿は大して変わらず相変わらず神々しかったと言うのに。

――嫌なら逃げても良いんだよ

逃げたく思えたなら良かった。
自分の体を包んでくれたその感触も温度も香りもその全てに
居心地良さを感じたのが問題なのだから。

ずっとこうして居たい、何て思わず掴んだシャツ…

ショックで思わず思考が停止し、何も言うべき言葉が見つからず
只、後輩らしく頭を下げて楽屋を出るので精一杯だった。

ただ幼馴染の人と再会した事に今、気が付いただけで…
ただ仕事の先輩でもあり師でもある人に恋心を抱きそうになっている

通常なら何も問題無いのかも知れない。
その先輩があんなにも自分を乞うて下さってるのだから猶更。

私がはい、とか答えればずっと馬鹿馬鹿しくも夢を見てきた
ハッピーエンドが手に入るだけの話なのだけれど。問題は…

――好きだって言ってんだろうが!

らしくなく余裕の無いあの悲鳴の様な言葉が耳から離れないと言う事。

――俺を待ってる時、どんな気分だった?

そう問う彼の瞳が暗かった事が、自分にそうして関心を持ってくれた事の嬉しさが
私から言葉を引き出した。言葉を吐く事で自分の感情を再認させられた。

こんなに寂しかった。
こんなに惨めだった。

自分が頭で思っていたよりもその感情は根が深くて
その根の深さがどんなに彼の存在を乞うていたかを嫌でも知らされた。

まるでタイムスリップでもしたかの様な気分だった。
過ぎ去りし日々の想いが今の自分の心と重なった。

誰も必要としてくれない寂しさがどんなに頑張っても報われない。
そんな達観と渇望と絶望と色々。

今までこんなに大きな穴が心に開いていたのかと思う程
認識したそれは話せば話す程、広く、深くなって行く様に感じた。

呑みこまれそうになる恐怖。
べとべととした感触の想いが自分の喉元を締め上げる不快感。
まるで陰湿な拷問の様なそれに顔を歪めた時に聞こえた意外な言葉が
私を救い上げた。

――ありがとう

一瞬アイツが何を言ってるのか分からなかった。
その一瞬後、ああそうか馬鹿にしてるんだと私は理解した。

私はまた馬鹿にされて居るのに誤解してそんな言葉に救われそうになった
自分の馬鹿さ加減と屈辱に怒りが沸騰してもう我を忘れて手に触れるもの全て
アイツに投げつけたのに…

――俺だってな!俺だってなぁぁ!おめぇが来ねぇから――ッッ!

俺だって…何よ!?と思ってふと冷静になった時
私は多分期待してしまったのだろう。

だってあの話の流れで、あの表情だもの。
ひょっとして――俺だって…同じ思いをしたから
こんなに辛い思いをしてまで待っててくれて有難う=H

深読みしすぎだと自嘲したけどその深読みで感情が収まってしまった。
巨大な穴が塞がってしまった。その事が自分でも馬鹿馬鹿しいと思っても
塞がった穴を再び開ける事が出来なくなってしまった。

恨まないと、と言う強迫観念が怯んで萎縮した。
そんな時だから余計にだったのだろう。

いわばカウンターを食らった様なものだから通常では効かない筈のその言葉が
こんなにも脳裏に張り付いたのだろう、と理屈付けして自分を納得させようとしている
その作業中もずっとこだましていた。

――好きだって言ってんだろうが!…好きだって言ってんだろうが!…

恋愛なんか只の錯覚なのだから、と何度言い聞かせても
二人の言葉が頭から離れない、そんな最悪の気分だった。

心がざわざわと慄き、自然と情緒不安定になる。
ふらふらと歩いていた自分が悪いのに追い抜かんとする自転車に
ベルを鳴らされ「煩いわね!」何て牙を向いてしまう。

これは只の八つ当たりだわ。こんなに私は嫌な人間だったのか…と
また落ち込みながらその悩みの種の一つである尚のマンションへ向かった。

どんな顔をしていれば良いのだろうか分からないけど
一度無断でサボってしまったからにはもうあんな不真面目な事を
したくなかった。

どうにも足が思う様に進んではくれない。
いつもなら頭で予定を立てて手早くする買い物も
今日はゆっくりと吟味する振りをしてしまう。

寄り道をしたがったり、帰りたがったりで如何にも情けない。
それでも何とか無理矢理体を動かして進むと
予定の時間よりもやはり遅れて到着した。

預かった鍵を鍵穴に差し込み回す。
金属音がやけに響いた様な錯覚をして周りを見渡し
そっとその扉を開けた。

てっきりいつもの様にだらしなくベッドに横になってると思ってたが
以外にもきっちりと食卓に座っていた。顔がそっぽ向いているのに
一挙一動を気配で探られている、そんな感じがして思わず指の先まで
緊張しながら重たかった買い物袋を運んだ。

ずっとこんな感じだと苦痛でしょうがない。
何か打開策が欲しかった私はとりあえず「好き」に対して
何か答えを出さねば、と思って「恋愛には興味が無い」と
精一杯の演技でもって動揺してない様にさらりと言おうと思った

「遅くなった…わね。少し考え事してて…今作るわ。
でも少しその前に――」
荷物を床に置きながら尚の表情を伺いながら言葉を選びながら
言葉を吐いた。

「あの…この間の事ね…私は…」
「ああ?この間の事だぁ?」

尚の目を覗き込むとその瞳孔が酷く揺れているのが分かった。
長年の付き合いのお蔭だろうか、これから嘘を言おうとしてると
察してしまった。

「まさか真に受けてたのか?」
せせら笑う様な顔なのに顔中が引き攣っている。尚は本当に嘘を付くのが下手だ。

何故そんな嘘を付くのか、何て考えると
如何してもあの言葉に行きついてしまい、その感情が
現在のか過去のか判別付かない自分の感情と重なる。

――俺だって!お前が居ないからなぁ!
――好きだってんだろうが!

無かった事にして関係を修復しようとしている、多分。
関係を壊す事を怖がってる、多分。

「行かないで」「帰って来て」「寂しい」が言えなかったあの時。
ずっと寂しさを堪えて笑顔で送り、笑顔で迎えていたあの時。
あの時私は尚を失うのが怖くて嘘ばっかり付いてた。

胸が急に熱く焦げた様に熱くなった理由は分からない。
原因が過去にあるのか現在に有るのかはわからない。

それでもその言葉で自分の中の尚≠ェ変わってしまった事には
違いなかった。

「それとも最初に貰った依頼でも遂行してんのか?
そういや、俺の恋人役だっけ。はは。お前に出来る訳ねーのにな!」
「……やって…みるわ」

いつだって役に入ろうとする時、私は繰り返し自省していた。
そしていつでも自覚せざる自分≠ノ気が付かされるのだ。
だからこそ、その言葉に乗ってみたのだと自分では思っていたけれど…

「取りあえずご飯、ね?」
「ああ…」

取りあえず心を鎮める為にもいつもの様に淡々と料理を始めた。
包丁が定まらない事で自分の心が今でも千々に乱れているのが分かる。
不意に背後から腰を抱かれ包丁のリズムが崩れる。

恋人なら…別にこのままでも良いわよね、何て役に入っている振りをしながら
その生ぬるい温かさに甘んじていた。
しゅんしゅんとケトルがお湯を沸騰させた。

「お湯が――火、止めなきゃ、、だから――」
振りほどく訳でなく、その自らに絡んだ腕にそっと手を添えたが
尚は離す気配も無く、更にその腕は私を締め付けた。

心が熱くて熱くて溜まらない。
火傷したかの様なカァッと広がるその旨の疼きと痛みに
私は無理矢理その腕を解く気になれなかった。

ずっとこんな情景を思い描いていた、こうなったら良いと夢見ていた。
誰かにこうして身動き出来ない程愛されて、必要とされて、抱きしめられて…
そんな事が私には長年の夢だったのだから…

締め付ける腕が尚の想いを浸食させる。
何が嘘、よ。馬鹿しょー。バレバレじゃない。

――苦しくて苦しくて溜まらないわよ!

不意に体を反転させられ驚く尚の表情で初めて
自分が泣いている事に気が付いた。
演技だとかそんなので取り繕う事が出来なかった。

てっきりいつもの様に立ち尽くして見守るだけだと思ってた尚が
ぐっと抱きしめて来たから余計に胸が苦しくなった。

「なっ…何なんだよ、いきなり!何が在ったんだよ、言えよ!」
「嘘つき…ショー…」
「あ?俺がからかったのがそんなにも辛かったのかよ!」
「どうせなら巧く騙しなさいよ…」
「ああ?前の俺の言葉がそんなに下手糞な演技だったかよ…」

まだ騙せていると思っているのか笑ってそう取り繕うのが滑稽で
酷く愛しかった。頬に感じる尚の鼓動は嘘だと証明する様に早くなっているのに…

「心臓の音、凄い」
「別にからかっただけで…それがバレたからって…ただ俺は…」
「役者だったら成功しなかったわね」

ますます鼓動は早くなる。釣られて私のソレも早くなる。

「素人だもんよ。そら下手糞だろうが!そもそも信じて無かったなら
なんであんな神妙な顔して入ってきたんだよ。俺はてっきり――」
「嘘か本当は分からなかったから神妙な顔をして言葉を選んでたのよ」
「気を使わせたな!生憎…」
「馬鹿にしないで…」
「へへ!悪かったな!お前の事なんかこれっぽっちも…」

彼が私を騙そうとすればする程に隠された想いが
色濃く伝わり胸を締め付けた。今、私はどんな顔をしているのだろう。
へらへらと笑っていた尚が小さく息を吸い神妙な顔をした。

「アンタの事なんかお見通しよ…」
今更騙そうなんて…そんな事すらもう分からなくなったの?
どれだけ一緒の時間を過ごしてきたと思ってるのよ。
本当に……馬鹿男。

「悪かったな、好きで」
吐き捨てる様なそんな声が響き、驚いて顔をあげた瞬間
唇に優しい感触を感じた。

思い出したのはいつも読んでたお気に入りの本。
王子様とかお姫様とかが出てくる優しい挿絵の童話。

苦難を乗り越えた二人が交わす口づけで終わるその本は
私にとっていつか来たるべき未来で在った筈だった。

口づけを交わして二人は幸せになるのでしょう?
永遠の愛を誓い合うのでしょう?
バラ色の日々を過ごせるんでしょう?

それなのに何故こんなにも胸が苦しいのだろう。
息が止まりそうな程心臓が飛び跳ねた。
まるで風邪でも引いたかの様な眩暈と体温の上昇に私は酷く取り乱していた。

【続く】



流れ的には12話辺りから。





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