第十話


その日、彼女と逢ったのは撮影で…
彼女からしてみれば仕事だから仕方なく顔を合わせる
裁きの時、といった所だろうか。 


青い顔してスタジオに入ってくる彼女に微笑むも
彼女は青い顔を更に青くさせて俺の方へ地に付かんばかりに
低頭するばかりだった。近づいても来ない。

あの?すいません、ごめんなさい?を連呼した彼女の声が耳から離れない。
この切ない距離感を何とかしようと近づいても同じだけ離れられて…

呼び出したりしようものならまた土下座、か。
憂鬱になりながらもそれしか手段が無くて
俺は卒倒しそうな程に神経を研ぎ澄まされた彼女に
控え室に来る様に告げた。

「どうしても…ですか?」
「強制は出来ないけど…」
「ちょっと…行けません…」
「…彼に…何かされ…」
「何もされてませんッッ!」

彼女は残酷な程に彼が関わると在る意味正直だ。
何か…されたんだ。

「そうか、俺と二人きりになると彼氏に疚しい…」
「違います!尚は彼氏なんかじゃ…」
「誰も彼だなんて言ってないよ」

他の出演者が居る前で、それでなくとも彼女は軽井沢で
育ちかねない危険な種を蒔いているんだ。

不破の名は余り出すべきではないと考え
俺は耳元にささやく様に念を押した。

「控え室で待ってるから」
彼女はうなだれる様に首を縦に振った。
その無防備さに少し腹が立った。

いっその事「敦賀さんには関係ない話です」と言われれば
俺は首を突っ込む訳には行かなくなる訳だが
彼女はそんな抵抗をせずに俺の後ろをただ付いて来ただけだった。

扉を開け、彼女を入れ閉める。
彼女のうなだれ方を見てると囚人でも収容した様な気分だった。

「……私…」
「で、何をされた?」
「何も…されてません」
「またあの時の様に唇でも…」
「潔白です!何もされてません!少なくとも危害は加えられてないです!」

彼女の、何かを護る様な気を張った声が室内に響く。
俺は言葉を無くして黙り込んだ。

危害は加えられてない。攻撃は受けてない。
すなわち嫌な事はされて無い――と解釈すべきだろう。
彼女はずっと不破に何をされても嫌だ不快だと言っていたのに
不破か、それとも彼女、もしくはその両方に何か変化が在ったのでは無いだろうか。

「敦賀さんに疚しく思う様な事、してないしされてませんから…」
彼女は何を思ったのか俺の服の裾を摑み何かを懇願した。
俺も彼女に毒されていたのかも知れない。それが何かを理解するには少しの時間が掛かった。

「何を…」
「特に大した接触もありません、通常業務を淡々とこなして…」
「俺は…」
「通常業務と云うのは家政婦代わりで、掃除洗濯料理、そんな…」
「最上さん…?」
「さっさと仕事を、勿論仕事なので手抜きは一切ナシで…」
「…最上さん!」

まるでお経を唱える様に俺の目も見ずに彼女は言葉をひたすら羅列していた。
心はここに在らず、と言った感じだ。俺が制止する様に少し声を荒げたら
彼女はビクリと体を痙攣させて再び青ざめ、黙った。

「じゃあ何故仕事を無断欠勤なんて…」
彼女の歯軋りする音が聞こえた。よほど聞かれたく無かった事らしい。

「不愉快な事が…在ったからです…」
「不破君絡みで…だよね?」
「……」
「それでも君は危害を加えられて無いと言う…」
「危害じゃ…無いんです…」
「でも不愉快になる様な事が……!」
「からかわれて馬鹿にされたと思ったので不愉快になっただけで!」
「危害を加えられてるじゃないか!」
「勘違いだったッ!………かも知れないん…です…」

言葉の勢いが急に失速する。
その勢いと共に彼女の背も丸くなる。
まるで自分の心の殻に閉じこもって周りを拒絶する様に
その身を小さく縮めだした。

「話が見えないんだけど…」
本当は見等が付いていたけど彼女の口から聞きたかった。

「好きだと…言われたんです…」
時が凍りついた様だった。
予測していた事も彼女の口から聞くと想像してた様な感触とは違った。

「…へぇ…?」
「私…」
「で、何と答えたの?」
「……答えて…無いんです。答えられなかったんです」
「何故…」

「だッ…!だって!いつもの性質の悪い悪戯かも知れないし!
只の気まぐれで!…あ、それとも何か策略在っての事かも…」
「最上さ…」
「あ!そうか。嫌がらせって事も在るんだわ。
こういう事に疎い私を騙して後日、嘘だなんて…」

指を折りながら可能性を幾つも羅列している様で実は
たった一つの可能性を色んなバリエーションで繰り返していた。

集中して考え事して俺の言葉に気がつかない振り…
これは酷く下手糞な演技で…彼女はこの茶番で
何かを覆い隠そうとしている様に見えた。

「最上さん…」
「ああ、本当に私って馬鹿だわ。何度も騙され…」
「最上さ…」
「大丈夫です。私は進歩しない類人猿じゃないですから…」
「最上さんッッ!」

嫉妬と…あと色々。
俺は彼女の頬を両手で包むと軽くそれを打った。

「しっかりするんだ!」
「…私は…しっかり…してません…ね…」
彼女の瞳孔が酷くめまぐるしく震えて、遠くを差していた。

「順序立てて話して見て…」
「話したら…私はきっとお側に居られなくなりますよ…」
胸の中が張り裂けそうな程、不安で一杯だった。
そして嫉妬と恋心でリミット。

俺は彼女を怯えさせる事と分かりながらも押さえる事が出来ずに
彼女の手首をぐっと捉えた。

「側から…離さない」
彼女は安心した様に微笑んだから……
もう一度、今度は更に手首を強く握り締めて念を押す様に
ゆっくり…言葉をなぞる様に吐いた。

「側から…離さないから…」
俺の顔を覗き込んだ彼女の目が再び怯えた様に揺れた。

先輩からの思いやりから出た言葉と思わせたくなかった。
俺が男だと思い出させたかった。この窮地に…
不破の話をさせて彼への、彼からの想いを辿らせる前に。

そもそも不破と彼女は何かが氷解さえすれば
一番近くに居た二人で在ることぐらい最初から分かってた。

だからこそ俺は…誰よりもアイツが怖かった。

多少破損したとは言え、長年の積み重ねた二人の歩みは固い。
俺が側に居なかった間も彼らは側に居たのだから。
比べて俺とのソレとは比較にならない。

俺は彼女を想っただけ。ただただずっと想って来ただけ。

「敦賀さん…」
「話してごらんよ…ほら、あの時の様に…」
「敦賀…さ…ん?」
「あの光さす河原で…いつも君は怯えたり泣いたりしてたじゃないか…
俺はずっとあの時から君の…」
「う…そ…」

――ずっと君の側を夢見てたんだから…




【続く】





駄文同盟.com 花とゆめサーチ

inserted by FC2 system