第十五話


期待するな、と何度も繰り返し唱えながらも
手に持っていた甘々しいピンク色の紙袋をそっと机の下に置いた。 



上に置いて視界に頻繁に入ってくる紙袋に
寂しさを感じてしまうのが嫌だったから。

空白の時間が押し寄せてくる。
不意にさっき会ったファンらしき少女の言葉を思い出す。

――よかったぁー!誰かに取られちゃったかと…

馬鹿馬鹿しい。リップサービスであんな事を言ったが
俺はあんな女の所有物になった覚えはない。

職業的にああいう事を言われるのは良いことなのだと思うし
【私のモノにしたい】と言う欲が客の財布の紐を緩める訳で…
彼女達が金を払う引換にしているのは【俺】なのだろうし
そんな子たちのお蔭で俺の仕事は成り立ってる。

俺が束縛する権利を与えるつもりの無い奴に
あんな言葉を吐かれるのは仕事だと分かっていても不愉快だった

今までそんな事、思った事無かったのに…
俺を必死になって乞う女の存在が嬉しかった筈なのに
何だろうな、この砂を噛む様な気分は。

ふと足元の紙袋を見た。
この部屋に似つかわしくない幼さを持つその模様は
嫌でもこの部屋で目立っていた。

「何に対して金を払ったんだ…?俺は…」
思わず紙袋に向かってつぶやいた。
勿論返事など帰ってくるとは思ってないけど。
(俺はキョーコじゃねーし)

不意に携帯が鳴った。マネージャーからだ。
仕事がひと段落ついたのだろうが…

だったら…早く帰ってきてくれ。
俺を一人にしないでくれよ、マジで…少なくとも今は…

そう心の中で思いながら電話を取った。

「はい?如何し…」
「アンタ、そうならそうと何故アンタが直接連絡して来ないのよ!
まったく!」
「…は?」
「とりあえず、ノッて来たならドンドンストックして。キョーコちゃんにも
お願いしておいたから…」

「何言って…」
「アンタが言い出したんでしょ?キョーコちゃんから聞いたのよ!
私、貴方から連絡貰ってすぐにキョーコちゃんにその旨を伝えたんだけど
キョーコちゃんがついさっき尚から電話掛かってきて曲作りが乗って来たから
もう少し頼むって言われたから…って…」

「…ああ?」
「違うの?」
「…いや、、ち、違…違わ…ねぇが…」
「もう!そうならそうと先に私に報告を…」
「分かった分かった。悪かったよ、もう切るよ」

「本当に乗ってるのね、期待してるわ」
「ああ、すげぇの出すぞ。期待してろ」

慌てて電話を終わらせたのは、
いつの間にかキョーコが玄関に立ってたからで…
罰の悪そうな顔をして俺を見てたからで…

「何で来たんだよ…」
「……」
「また襲われてぇのか?ああ?」
「違うわよ…」

「じゃあなんなんだ!」
「え…と私…えと…そう!そうだわ!そもそも演技の練習になるって事で
この仕事引き受けたのに…ほらっ!何も得れなかったし…任務だって完遂して…
ない…からさッ!」

しどろもどろの言葉に激しく揺れる瞳孔で嘘だと分かる。

「だから嘘ついて…電話なんて俺、掛けてないし…」
「ほ、ほら!仕事ちゃんと出来てないって私、気にする性質だし…」
「だからそれは…」
「嫌なら帰るけどね!別に仕事が中途半端だったから心残りなだけで…」

――嫌なんて…言える訳が無い。俺の傍に居る事がコイツにとって仕事であって
本当は不本意で有るとしても…俺には拒む事が出来そうにない。

「当初の依頼を果たすなら恋人役、だぞ?出来んのか?」
「…あ、、出来る…わよ」
「…やってみろよ」

別段、役に入る様な作業は見られなかった。
ただ、いつもの様にキョーコはご飯を作り、掃除をしたから
俺は思わず手伝った。

「尚は曲作らないと、でしょ?」
「もう提出したっつーの!舐めんな!」
「私、乗ってるから追加曲書くとか言ってるって言っちゃった…」
「何でそんな嘘つくんだよ!」
「知らないわよ!…咄嗟に出たんだもの!それとももう来ない方が良かったの?」

返事が出来なかった。脱力した途端俺の手にしていた掃除機が奪われた。

「さぁ!掃除は良いから曲作り、曲作り!」
「…ああ…」

ギターを手にしたが動悸すら落ち着いて居ないのに曲が出る訳も無く、
かと言ってここまでバックアップして貰ってるのにぼーっとしてる訳にもいかず
ただ指は夕べ作ったあのこっ恥ずかしい曲を、コードCから始まる
キョーコを想う曲を俺は紡ぎ歌った。

愛してるとか変な英語とかで誤魔化さない。
ただ俺達の軌跡をなぞり、胸一杯、この想いを歌った。

いつの間にか掃除機の音は止まり、キョーコは雑巾で床を拭き始めた。
熱心に、同じ所を何度も何度も拭いていた。

届かないのだろう。それで良い様な気もしたが取りあえず思いのまま
俺はその曲を一曲丸ごと歌い上げた。

当然拍手はない。キョーコは同じ所を何度も何度も拭いていた。
なんとなく気まずくて「そこ、そんなに汚れてるかよ」と笑った。
キョーコは声も出さず、ただ何度も頷いていた。

そんなにか!?そんなに汚い所あったか!?
俺、何か零したっけ?と変に気になってキョーコが拭く
その床を見たが別段変わった所は無かった。

ただ水滴が一つ、また一つと落ちて濡れてはそれをキョーコが拭いていた。
その水滴は…

「おい…キョーコ?」肩を揺さぶると更に水滴が落ちる。
キョーコは相変わらず顔を上げない。

「おい、ちょ!何だよ!如何したんだよ!腹でもいてぇのかよ!」
何度も揺さぶったが水滴が落ちるだけで一向に顔を上げない。

「救急車か!何処が痛いんだ!早く言え…」
「……になったね…尚…」
「あ?」
「…良…い曲…作る…になったね…尚…」

何だ、曲が良くて感動して泣いただけかよ
心配しやがって!と心の中で悪態付きながらも嬉しくて、少し残念だった。
キョーコ宛ての曲、だとは思ってないらしい。

「俺は前から良い曲をだな…」
「有難う…」
「はぁ?」

キョーコは不意に体を起こして俺の首に抱きついてきた。

「有難う。…りがとう…」涙声が心に響く。
如何やら伝わってしまっていたらしい。その事が胸を一杯にさせて
俺の言葉を封印してしまった様で「ああ…」とかそんな声しか上げられなかった。

暫く立って、キョーコの鼻を啜る音がマシになった位に
その密着した体を突き放して机の下に有るものを取り
アイツの顔の前に突きつけた。

「何これ?あ、この紙袋、雑誌で見た事有る…祥子さんに?」
「馬鹿かお前!」
そう言いながらキョーコの手にそれを押し付けた。

「え?どっかに届けて来るの?」
「ほんっとうにお前は…」
「分からない」
「おめぇにだよ!カス!」

驚いたのかキョーコはその手からその紙袋を落とした。

「要らねぇなら捨てんぞ!ごるぁ!」
「要らないとかじゃなくて…」
「渡したのに離したって事は要らねぇんだろが!」
そう言ってその紙袋を掴みゴミ箱に捨てようとすると

「ちょーーっと待って!待って!要る!要るから!」
「ほらよ」
再び紙袋を渡すと何とも言えない顔して頬を紅潮させた。

「中身、見て良い?」
「ああ…」
そう言ってごそごそと薄い紙に包まれたそれを出した。

「ヤダ!如何しよう!凄い!可愛い!」
マジマジと見て踊らんばかりに喜ぶキョーコを見て
俺は何に対して金を払ったのか分かった様な気がした。

「着て来いよ。サイズ合うか分かんねぇし…」
「うん!うん!…あ、でも…」
「…覗かないでね?」
「期待してんのか?」

「違うわよ!だって前…」
「続きして欲しいのか…」
「殴るわよ!」
「そんな貧相な体、もう触らねぇよ!」

「貧相ですってぇぇ!」
「そんなに貧相って言われるのが嫌なのか?」
「嬉しい筈無いでしょうがぁぁ!」
「また揉んで大きくしてやろうか?」

キョーコは真っ赤な顔で俺を一睨みすると
バスルームへ着替えに行った。

一瞬お望み通り覗いてやろうかと思ったが
あのワンピースを見た時のアイツの純粋な笑顔が…
まるで子供の様に嬉しそうに頬を綻ばせるその所作が何より嬉しくて、
その事で胸が一杯で余計な事を実行する気になれなかった。

布の擦れる音、紙袋を探る音
そして待ちかねたお披露目。

白く艶の有る布地の上にシースルーが揺れる
自分が買っておいて何だけど意味深で恥ずかしくなった。

だってその姿はまるで…

「ウエディングドレスみたい…」
「アレはもっと豪華だろうが。これはもう少しシンプル」
「こんなの…特別な時で無いと着れない…」
「日頃使いも出来るだろう…」
「そうだけど勿体ないじゃない…こんな…こんな…」

興奮して頬が真っ赤だ。キョーコがスカートを翻す度に
キラキラとその服を飾る飾りが揺れた。

一瞬、京都の実家で遊んだ小川を思い出した。
キョーコがはしゃいで水を掛けると太陽に照らされた水滴が
こうして光るんだ。キラキラと。

「馬子にも衣装…だな」
言わなくても良いのに俺は…と思わず唇を噛むと
そんな言葉も気にならない程舞い上がってるのかキョーコは
「有難う…」と言いかけて「でも私がアンタに掛けたお金は
そんなモンじゃないから受け取ってあげるわ!」と俺を睨んだ。

「だな」と俺は否定をせずに言葉に甘んじる、
「そうよ!」とキョーコはいつもの調子に戻り、でも…と言葉を濁らせた。

「祥子さんに頼んだの?」
「あの人が忙しいからおめぇが来てんだろうが!」
「じゃぁ誰が…」
「聞くな!」

言葉を吐き捨てるとキョーコに背を向け食卓に座る。
真っ赤な顔だとバレるだろうが!そんな間抜けな事…
バレたらどれだけ笑われるか分かったモンじゃない。

そう思ったんだが流石に長い付き合いのコイツには分かる様で
覗きこまれてアウト。ムフフ、とキョーコが一瞬悪い顔をしたから
俺は訳が分からず不安になり青ざめた。

「っんだよ!」
「えへへー…」
「ぁんだってんだよ!」
「ショー…」
「……」

「しょーちゃん!」
「っるせぇ!」
「しょーーーちゃんっ!」
「鬱陶しいんだよ!」
「しょーたんっっ♪」

「気持ち悪ぃな!もう!からかうなよ!」
「……有難う…恥ずかしかったんじゃない?」
「…………死ぬ程な!」
「柄じゃないもんね…」

ぐっと背から抱きしめられ心が苦しくなる。

「敦賀の事が好きな癖に…」と思わず呟くと暫く黙ってたキョーコが
本当に聞こえるか聞こえないか位の小さな声でつぶやいた。

――傷つけられた分、仕返しさせて貰うわね…

「…あ?」と思わず変な声になりながらも問い返す俺に
キョーコは今度はよく聞こえる声で「此処にいる間、私は恋人なのでしょう?」と聞いた。




【続く】








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