第十六話


真意が分からず立ちすくむ。
キョーコは頬を少し赤らめ「恋人なのでしょう?」ともう一度念を押し
恥ずかしいのかすぐに目を逸らした。 


「そう言う…依頼だったな」
「有難う、ショーちゃん…きよ」

一瞬何を言われたのか分からなかったが無意識が聞き取ったのか
心拍数が、倒れそうになるほど上がった。

「…ああ?」
「好き…」
「お前…何言ってるのか…」

不意にささやかな風が腕を摩った。
その風はキョーコは流動させたものだと理解した時に感じた頬への優しい接吻…

「好きよ…ショー…」
顔を上げたキョーコの頬にまた一滴…
それを手の甲でぐっと拭くとキョーコはクルリと周り
「似合うよね?天下の不破尚が見立ててくれたんだもん!」と言った。

「当たり前だ、俺様のセンスに間違いはねぇよ!」
嬉しそうにキョーコはほほ笑んだ。
「その…綺麗…だ」あまりに素直に出られたから俺もつい…

「大事にする…」と一瞬自分の体をぐっと抱いたキョーコは
「汚れたら嫌だから…」と着替えに行こうとする手を?まえ
「汚れたら…また買ってくるから…」とこれまたらしくない言葉を吐いた。

瞳孔を広げ驚くキョーコに俺は慌てて
「その…いつまでも貢いだ、と恨まれたら…う…鬱陶しいからよ」と
余計な軽口を叩いた。

そんな俺の言い訳を困った顔で聞きほほ笑むキョーコの
無垢な顔を見ながらさっきのキョーコの言葉を思い出していた。


――傷つけられた分、仕返しさせて貰うわね…


感情を押し殺した様な棒読み。
未だコイツの中では怒りが冷めやらず俺の恋心を確信し
いたぶってやろうと思いついた…そうしか考えられないのに今一ピンと来なかった。

俺の知ってるキョーコは俺が如何出ようと調子など一切崩さず真っ直ぐ、
不器用な程真っ直ぐに生きて来た筈だ。

そこが俺には馬鹿みたいに見えた反面、何処か認めてもいた。
俺が此処まで変えてしまったのか…それとも他に何か理由が…

演技で俺を騙して弄ぶ?
それとも職務を全うしようとしているだけか?
本心が見えない。キョーコが見えない。
嘘か、本当か、役か、憎しみか、目覚めた恋心か…


――目の前に居る幼馴染をこれほど怖いと思った事は無い。


「如何したの?私の顔に何か…」
「目と…鼻と口が付いてる」
「そっ!それは付いてるわよ!付いてない方がおかしいじゃない!」

コロコロとキョーコは笑ったが俺は引き攣った笑いしか出来なかった。
そんな俺との温度差に気が付いたのか笑い止んだキョーコは
じっと俺の顔を覗き込み…少し悲しい顔をした。

「何してるんだろうね…」
「…何の話だよ…」
「何も無いわ…、ほらじゃぁさ!お礼にプリン作ったげる!
大きいの!すっごく大きいの!」
「そんなに食えねぇよ…」
「今日作って、明日一緒に食べれば良いじゃない!」
「明日…」

霧の中を歩く様な不安な気持ちながら
明日が在る、と言う希望に少しばかり心が揺らいだ。

「明日は出かけるから居ないかも知れない」
本当は決まった予定など無いがしいて言えば折角出来た曲を
早めに聞いて貰ってスタッフに練習をしていて貰いたいと言うのは
確かにあったが、少し逃げる言い訳に使って居る様な感も在った。

「じゃぁ残しておけば次の日にでも食べられるじゃない。
一人で食べたいならそれで…」
「用事が終わったら…電話する…」

これは釣られた、と言うのだろう。
キョーコはさもありなんと言う顔をした。

憎々しい程、俺を知るキョーコだ。
これが俺の知るキョーコだ。

何もかもを見失った訳では無い、とは思う。
けどこの俺の知るキョーコ≠ェ
何か変化してしまったキョーコの演技では無いと言う保証はない。

疑心暗鬼になり、目の前で折角ほほ笑んだり膨れたりしてくれているのに
俺はずっと引き攣り笑いしか出来なかった。

そしてキョーコはその事に一切振れずに時折切なげな顔をしては
気を取り直す様に話題を変えた。

砂を噛む様な時間。好きな女と一緒に居るのに
一人で居るよりも孤独感が募る時間だった。

それでも「じゃぁ、また明日」と扉の向こうに
消えようとするその後ろ姿を「送っていく」と追ったが
「私の…仕事はこの扉まで…だから…」と振り向きもせずに一蹴された。

――やはり仕事か。

分かって居る筈なのに何処か期待をしていたのだろうか。
いやもう何が現実で虚像なのかも判断しかねているのかも知れない。

戸惑う俺を置いてけぼりに扉はゆっくりと閉まった。
室内は静まり返り、耳鳴りが襲う。

明日もアイツが来ると思うと憂鬱になった。
でも来ないと思うともっと気が塞ぐんだろう。

何も無いのに姿だけ。
またアイツは感情も無いのに「好き」と言うのだろう。
抜け殻の様な言葉を俺に仕事として吐くのだろう。

だったらそう身構えて右から左へと聞き流せば良いものを
自分の恋心のせいだろうか、そんな中身の無い言葉に心が揺さぶられてしまうんだ。

もう来るな、と言いたい。電話一本で断れる筈だ。
簡単な筈なのにどうしてそんな事さえ出来ないのだろう。

俺はこんなに弱かったのか…

手持無沙汰でギターを握り
何となくかき鳴らしては録音する作業を繰り返す。

何もしていないと心中を占めていく切なさがじわじわと
心を蝕んでいくようで怖かったがずるずると引きずり落ちて行く様な
感覚に怯える一方で何処かそんな状況さえ楽しんでる自分が居るのも感じていた。

「流石じゃじゃ馬だな、アイツ…楽しませてくれるじゃねーか…」
強がり半分、本心半分だ。

辛くないとは言えないが、
だったらアイツと如何なればベストかと考えると…
そもそも付き合う≠ニかそんな在り来たりな関係を
望んで居た訳じゃないのだから

一定の距離を開けながら、一定の緊張感が在りながら
手ごたえのある駆け引きを楽しみながら一緒に居る…
この関係が理想的なのかも知れない。

自分に言い聞かせたのか自分の心理が本当に読めたのかは分からない。
だけどそういう風に気持ちを持っていくのが一番楽だと思った。

キョーコのアレ(態度)の思惑が何処に在るとしても
俺は俺なりに楽しめれば良いんじゃないのか?と自分に問いかけている内に
心の置き所を見つけた安堵感からか眠くなりベッドに潜り込んだが
ひと時でもペースを乱されたのが悔しくて夢見は悪かった…気がする。

気が付けば部屋の中は爽やかな朝日に照らされていた。
ぜんぜん寝た気がしない程度には気だるかったが
このままずっと仕事をしなくて「不破尚死亡説」とか絶対に嫌だから
床に這いずる様に移動して祥子さんに連絡を入れた。

有能なマネージャーは凄いな、本当。
多少「昨日連絡くれたら良かったのにー!」何て不満をこぼされたが
それでも良いメンバーとスタジオを揃えてくれた。

メンバーも急に召集を掛けた事には多少閉口して居た様だが
スコアを配り少し曲のイメージやコンセプトを告げると乗り気になってくれた。
仕事は前途洋々だ。

ある程度の音合わせをすると細かい所の調節をして
結局なんだかんだで午前中は潰れたがメンバーも優秀なもんで
デモ録音まであっという間に進んで後は今後の予定をマネージャーに任せて俺は退散する事になった。

結局持て余してやんの…時間。
早速キョーコに連絡を入れても撮影中なのか留守電に繋がり
俺は特に何も録音しなくても折り返し掛けてくると読んで
そのまま携帯を切り街をぶらついてから家に帰った。


【続く】





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