第十七話


そしてD. C.(冒頭に戻り)…今に至る。
待ち人が起こす風に落ち着きを失う自分に思わず苦笑した。 



「電話してくれ…」
「なんで取らねぇんだよ…」
「撮影ちゅ…」
「そうか、扉を出たらお前は仕事≠ナは無くなるもんな。
大体の時間は守ってくれてるし…別に異論はねーんだよ、うん」
「そう…よ…」

俺に背を向け流し台に向かったままキョーコは俺の言葉にピクリと反応し
そんな煮え切らない言葉を返した。

「仕事、だもの…」
「疑似恋人…だもんな」
「演技の練習、、よ」

俺の言葉を待ったのか暫く止んでいた包丁のリズムが再び鳴り出した。
気まずい空気が漂う。

「折角…だからな…」
そう言ってベッドから起き上がり料理を続けるキョーコを
背後からそっと抱きしめた。腹にぐっと腕を回し折れんばかりにきつく抱いた。

こんなにしっかりコイツの体は存在しているのに
心はまるで上の空。とても良い演技が出来てるとは言えない。

「如何したのよ…子供みたい」
「なんとでも言えよ」
「ちょっと!料理出来ないじゃない…」
「鬱陶しいか?」

キョーコは俺の気弱な言葉に驚いたのか
首だけで振り返った。直接視線は交わらないがその首元で
俺の様子をうかがってるのが分かった。

「そんな事…」
「恋人≠セもんな、そう言う設定だもんな」
「そうよ!そう何度も言わないでよ!」
「業務を確認して何が悪い!」

如何してキョーコはこんなに辛そうな顔をするのだろう。
辛いのは俺だけの筈なのに…

暫く振り返ったまま居たが言葉を探すのを諦めたのか
キョーコは再び包丁で食材を叩き始めた。

でも一瞬、その作業の前に俺がキョーコを抱いた腕に
そっと自分の手を重ねたキョーコの気持ちは相変わらず俺には分からなかった。

「尚、仕事は…?」
「ああ、順調だ。俺を誰だと思ってるんだ」
「天下の不破尚様、よね」キョーコは馬鹿にした様に笑った。
「ああ…」と胡乱に返事を返しながらふと聞いてみたくなった
くだらない質問をぶつけた。

「なぁ、キョーコ…俺の事好きか?」
「昨日言ったじゃない」
「好きか?」
「…そうよ…好き…よ…」
「何故…?」
「…何故…?」

包丁の音が暫く止まり、また再開した。

「それが分かれば苦労は無いわよ…」
「何故業務だから…って答えない…」

再び音が止んだ。

「それは…」
「役を作る上で妨げになるから…か?」
「…そうよ」
「だったら何故さっき仕事だ、と念を押したんだよ」
「良いじゃない、別に。もっと楽しい話をしなきゃ!私達は
少なくとも此処に居る間は恋人ですもの」

そう言って振り返ったキョーコの目は心なしか赤かった。
もしコイツが復讐、と割り切っているなら如何して時折
こんな辛そうな顔をするのか納得が出来ない。

俺からの返事が無いと悟ったのか再び包丁が鳴った。

思考に走るのも疲れたし柄じゃねー。
どんなに問い詰めてもキョーコからも俺からも煮え切った答えが出る様には思えなかった。

考えてもしょうがないなら状況を楽しむまでで
俺はガラッと気分を変えていつもの様にキョーコをからかい
時に怒られ、時に笑いあい、そんな他愛もない時間を送った。

そうしてると楽だったし癒された。
何よりキョーコがリラックスして俺に接するのが嬉しかった。

「マッサージしてくれよー」
「寝てばっかのアンタに何でそんな事…っ!」
「寝てばっかぢゃねーし!曲とか作ってるし!」
「大体は寝てばっかじゃない!私は…」

「おうおう!じゃー俺がしてやんよ」
「ええ?アンタが?」
「ありがたく思え!さあ寝ころべ!」
「…胡散臭いわね…」

「おう、マッサージってのはな?こうやって…」
「うん…」
「こうして腕をだな…」
「…うん」

「こう脚に掛けて…」
「これって…」
「腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)ーーーーっつって☆!」
「痛い痛い痛い痛いッ!」

「尚、尚。これ着てよ。見てみたい」
不意にそう言ってクローゼットから服を持ち出してきて
俺にそう強請るキョーコを少し警戒しながらも久しぶりに賛美されるのも
悪かねーな、と着替えて登場してポーズを取った途端
「お返しドロップキック☆」と地面に平行に飛んでくるキョーコには驚いた。
ってか服、関係ねーし。その為(油断させる為)に着替えさせただけかよ。

まあ殴られたり蹴られたり遠慮ないもんだ。
痣になったら如何してくれるんだ(←)

そんな馬鹿馬鹿しいやり取りが楽しくて俺は
外が暗くなったのに気が付かない程キョーコとのやり取りに
熱中していた。キョーコがセットしていたのか携帯が鳴ってタイムアップに初めて気が付いた程だ。

「じゃぁ…帰るわね…」
まだ息も上がったままのキョーコに
「…あぁ…げっほげほ…」と咽ながら返事を返した。

部屋の空気が急に通夜のそれの様に湿り、陰った。

「また…明日ね…」
「もう少し…」
「また明日来るから…」

逃げる様に扉に手を掛けるキョーコの手を
思わず?まえ引いた。

「明日来るから…」
少し俯いたままキョーコはきっぱりとそう言うから
俺はもうそれ以上抗う事も出来ずにその手をするりと放した。

俺との時間をそんなに終わらせたかったのか
キョーコを隠した扉はいつもより早く閉まった。
外側から体重でも掛けて急ぎ閉めたのだろう。

俺はそんな薄情なアイツの残り香と気配が消えるまで
ただその寂しさにその扉に頭を付けたまま立ち尽くした。

明日が来て何になる?
俺たちは何処へ進む?
そしてこの生活はいつまで続く?

少なくともこの仕事≠ニ言う縛りには終わりがある。
俺の仕事さえ進めば、そして祥子さんの仕事さえ終わってしまえば
キョーコをそれ以上引き留める訳には行かなくなる。

ずっとこんな生活をする為にはまず俺がこの家を出て一人で暮らす事。
そしてキョーコが望んで俺の所に世話をしに来る事。

仕事だから≠ニ強調して来るアイツがそうする可能性はゼロに等しい。
好きだと言っていっその事「馬鹿じゃないの!」と笑い飛ばされれば
気持ちの踏ん切りも付ける事が出来るのにアイツは――

――好きよ…ショー…

頼りないアイツの声が耳に蘇り胸を締め付けるが
これは演技の一環なんだろ?キョーコ…仕事としての義務だろ?キョーコ…

だったら何故あんなに切ない顔で泣いたんだ…
眉を八の字に下げ、唇を噛んでまであんな顔する必要が何処に在る…
復讐なら俺の想いを知った上でこれは義務だ≠ニ此処に来るだけで充分じゃないのか?それともそんな事では飽き足らない程、まだ俺が憎いのか?

波の様にキョーコは俺に喜びを持って来ては
波の様に持ってきた喜びもろとも全てを攫い虚無だけを残していく。

真綿で首が絞められる様な日々、心がどんどん擦り切れてヒリヒリと痛む。
それならもう来るなと言えたら良いのに…。


一瞬扉を撫ぜる様な音がした。
そんなたった零コンマ一秒の事でアイツの顔が浮かぶのが悲しかった。

それでも淡い期待を抱かずには居られなくてドアスコープを見たが
誰も居る筈は無く再び扉に頭を付け大きなため息を付いた。

キョーコは明日も来るんだろう
そして当然の様に帰って行くのだろう…
それがアイツの役割だから…



Part time lover






【終わり】




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