第二話


最後のゴミが今、その居るべき場所に収まった。
床は荒れてた時から想像も出来ない程に片付いた。

俺の心とは反比例する様に――



「ショーちゃん、食べよ」
「…あぁ…」

恐る恐る向けた顔の先には見慣れたアイツの顔…
あの時の様に目を潤ませて、恋だ愛だのを夢見る乙女心を顔に映していた。

近づいた食卓には美味そうな食事が並んでた。
湯気はもう少ししか上がってない。

食事が少しでも不味そうであったなら
卓を引っくり返して帰れ!と怒鳴りつける事が出来たのかも知れない。

それでも誘惑する様に艶やかな卵が…お浸しが…ご飯が…
俺の荒れた心を撫ぜる様に収めてしまった。

「頂きまぁす!」
キョーコがあの時の様な甘える様な子供の様な口調で元気よく手を合わせた。
「い…ただき…ます…」
椅子の背を引き我が身を滑り込ませながら俺はアイツの顔色を伺っていた。

「何か付いてる?」
首を傾げるアイツを無視して俺は溜息交じりに聞いた。
「演技の練習って言ったよな?これは何の演技だ?」

憑き物が落ちたかの様に表情をストンと変えたキョーコは俺を睨みながら
「恋人役、よ。アンタの荒んだ心を解してやって欲しいと言うのが依頼。
アンタの所為で荒んだ私がそんな事してやる義理は無いけど、考え方によっては
アンタが相手だからこそ演技力が上がるとも思ってね」と吐き捨てる様に言った。

これが――俺の…キョーコだ。

「どういう意味だよ」
「他の人には無い負荷が在るでしょう?」

キョーコの言葉の意図を考えていた。
そして俺はその意味を知り――思わずにやける頬を手で覆い隠した。

「俺だと演技に雑念が入るってか」
「そうね、憎しみとか憤怒とか殺意とか色々と邪魔してくれるのでね!」

言葉がまるで清涼水の如く心に染み入った。
まだ俺はそんなにも?特別?だったか、と思わず頬を緩めた。

顔色一つ変えずに家に入り込んできた時はもう終わったのかと思った。
敦賀の――あの忌々しいスカした野郎の所為で俺へのささくれなど
無くなってしまったのかと思っていた。

何だって良い、と思える程に俺の存在は淘汰されてしまったのかと
俺は絶望にも近い虚無感を感じていたのだが…

些かそうでも無いようで思わずほっと胸を撫で下ろした。
安心ついでに出て来る憎まれ口は最早止めようが無かった。

「恋人?あれが恋人ってか!」
「…知らないわよ!あんなのじゃないの?少なくとも私は…」
「…俺らは恋人だった時なんて無いだろうが!」

キョーコは少し――何とも表現しかねる複雑な顔をした。
俺はその表情の意味すら分からないのに心だけが先走り――ギシギシと痛んだ。

「…自分でやれば良いのに如何して私なんて指名してやらせるのかしら…」
「知らねぇよ!」――言える筈なんて無いだろうが!唐変木が!と心で罵りながら
その一瞬後に後悔ばかりがこびり付くように残る。

自業――自得なんだがな。

俺だって人の子だ。利用して捨てた女に罪悪感を感じない訳じゃない。
でも今更後悔した所で何か進む話じゃない。後悔なんて――踏み台にした相手に失礼だろうが。

――そうは思うものの理屈と感情は必ずしも一致しない。
他に道は無いと思いながらも胸に痛みを孕むのは避ける術が無い。

俺は、、だからこそ容易に好きだ、何て言う事が出来ない。
どれだけ他の人の目には明らかな程の想いだって…言えない。
そんな資格など無いと思う自分を嘲笑する自分が居た。

苦労して苦労して頑張ったお姫様はいつしか出会う
大金持ちの王子様と永遠に幸せになる――

「ショーちゃんの為に作ったプリンだよ!」
「ショーちゃんの為に睡眠時間削って働いたよ!」
「ショーちゃんの為に――」
「ショーちゃんの為に――」

暗に「こんなに代償を払ったのだから当然一生楽に暮らせるわよね?王子様…」と言ってる様に聞こえた。まるで安物のジャパニホラーの様に
じわじわと足元に絡み付いて気持ちの悪い妄執の様に感じた。

対してビジネスライクな大人の女の側は学ぶ事も多かったし
何より依存して来る様な事は無かった。

情に捕われて、過去を背負いつつ階段を登るか
情を切り捨て、過去を払い飛躍する様に駆け上がるか

もう帰る場所も代替の夢も無い俺には道は一つしか無かった。
後悔なんてしては――いけない。

「俺は――お前なんか――好きじゃねぇ!」
「分かってるわよ!セぇクシーなお姉さんが好きだものね、あ――」

キョーコは何やら思いついた様な顔をして俺に覗くなと釘を刺し
バスルームへと篭り、アイツの着ていた服が床に落ちる音が妙に心臓をオカシクしていた。

自分が肉感的な女では無い事を理解している筈だ。
決してバスタオル一枚で出て来て「これでもセクシーじゃ無いとでも?」何て…言わない事ぐらい分かってるんだけど妙に落ち着かずにとりあえず食卓に戻り気も漫ろのままに食事に手をつけた。

懐かしくて泣けそうな味だった。勿論美味しい。死んでも言わないけど。

貪る様に食べ初めて――本当なら食事が卓上に乗ったままで
クールに「おせぇよ!」何て突っかかるのが俺らしさなんだが…
茶碗に顔を突っ込む様に余裕無く喰ってしまうのは何としてでも見られたくない所だった。

聴覚に神経が集まる。相変わらずバスルームからは布の擦れる音がする。
大丈夫、まだ喰える。

お味噌汁の塩加減の丁度良さに油の乗った焼き魚に噛めば上品ながら甘みの在るタレの染み出る京菜の胡麻和えがまたご飯を進ませる。

気が付けば、目の前に並ぶキョーコのおかずすら無く。
俺は只――やってしまった感を一身に感じていた。

卑しいと笑われるか?
…別に特別腹が減ってた訳じゃないんだ。
この炊き立てのご飯が、好みを知り尽くしたこの配慮が
腹とは別に何かを酷く強制的に満たして行くのが悔しくも、心地良かった。

不意にバスルームの戸が開く音がして俺は思わず固まった。
ヤバイ。がっついたのがバレル。格好悪い。

しかしながらリビングに入ってきたアイツの姿を見た俺は
正直、取り繕う言葉すら何処かへ抜けて行ってしまっていた。

「その姿――」
「食べたのね、良かった。不摂生な食事ばかりしてるから――心配してたのよ?」

ウィッグの所為だろうか。腰まで在る色素の薄い髪をなびかせながら
彼女は人差し指を下唇に押し当てたままクスクスと笑い俺の向かいに座った。

まるでマネージャーの様に。

唖然として言葉を失ってる俺を気にも留めずに彼女は髪を掻き揚げながら
「そんなに一気に食べると喉に詰まるわ―――」と眉尻を八の字に下げながらそっと俺の顎に手を伸ばした。皮膚に違和感を感じた。米粒が付いていたらしい。

「慌てて食べた証拠ね――」
指先に取った米粒を自分の口に運ぶと優しく微笑み「お代わりは――?」と聞いた。

キョーコの姿に記憶の中のマネージャーが重なる。
似てる、似てるけどこれは――

祥子さんはこんなにゆっくりと動かない。
祥子さんはこんなに家庭的な面倒の見方をしない。
それに何より――

「祥子さんは恋人じゃない」
「――え?」
「――違う!」
「一緒に住んでるんでしょう?」
「仕事上都合が良いからだ!俺は一人で起きられないだろうが!」

キョーコは眉間に皺を寄せた後少し溜息を付いて、少し笑った。

「相変わらずね…」
「努力はしたさ。全て空振りだったがな。目覚まし何台壊したか…」

彼女は相変わらずマネージャーの仕草で笑った。


【続く】





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