第三話


「流石恋愛音痴だな。恋人のイメージがこんなに貧困だったら
役者寿命も知れてるよな!」

マネージャーになりきった彼女は一瞬その呼吸を乱すが
すぐにまた冷静になり困った様に笑った。

役者と云うのは此処まで成り切るのか――
PVの時に感じたのとは段違いの恐怖を感じた。

人の認識を一瞬狂わせる程の説得力の在る状況判断、空気造り。
祥子さん役、として此処に来たのであれば文句の付け様が無い程に
完璧に模写していた。

お代わりを取りに良くその席の立ち方に服の布地の揺らし方、
首の角度もぼーっとしてればマネージャと一緒に居ると錯覚しそうだった。

「それしか出来ないからそうしてるのか?依頼は恋人みたく…だろ?」
キョーコは背を向けたままご飯を注いでいた。

「おい、キョーコ。無視してんじゃねーよ!」
「分からないわよ、そんなの」
「分かりたくなくなったんだよな!俺のお陰で」
「――そうよ、私は――馬鹿だった」

急に落ちる言葉のイントネーションにキョーコの気持ちが漏れた。
彼女がどれ程に俺に対して思いつめていたかが息苦しい程伝わった。

「それは…」――俺も――馬鹿だった何て、思ってもプライドが引っ掛かって
言葉が喉から出ない。もどかしさに思わず唇を噛んだ。

「アンタに言われなくても分かってるわよ!」
何をどう曲解したのかキョーコは俺を睨みそう吐き捨てた。
「とりあえず――」素のままで居てくれ、が答えに一番近い言葉で
今のままが俺の恋人像なんて言って良い言葉じゃなくて只、俺は言葉に困って――

「敦賀にしてるのと同じ態度で接すればいーじゃねーか!」
最悪のチョイスに自分でも呆然とした。
「敦賀さんに対する態度は尊敬で構成されてるのよ!アンタに出来る訳無いじゃない!」
「ハッ!役者にも限界があんだな。先が知れたもんだ!」

如何して俺はいつもこうなんだろう。コイツにだけなんだ。
心と裏腹に口が暴走して後で後悔ばかりする。

「………………きるわよ…」
「あ?」
「……出来るわよ、少し違う様になるかも…だけど…」

キョーコの頬が赤いのはきっとあの野郎の事を考えたからだろう。
カッとなる気持ちが目の裏の粘膜をも熱くさせた。

「…やって…みろよ…」
「言われなくても…やるわよ…」

部屋が妙な空気になった。気不味いとか、後ろめたいとか
そんな事を超越した気持ちの悪い雰囲気…

正直、言ってみたものの心底実行して欲しいとは思っていない。
むしろそんなキョーコを見たくない。

あんな野郎に向けた視線を擬似として俺に向けるなんて
胸糞悪い事この上ない。

キョーコとしても憎き俺なんかにそんな視線を向けたい筈も無く
誰一人望む事の無い流れを自分が水を向けた為に止める術も無く
只、成り行きを警戒しながら見守っていた。

――敦賀さん♪
嘗て俺に向けていた様な満面の笑み、頬を染めて言うのだろう、アイツに。

――敦賀さん…
敏感なコイツの感性がいち早くアイツの体調不良なんてキャッチして心配するんだろう。

俺がそれを要求するのか?して欲しいのか?
嘗ての関係を呼び戻したいのか、俺は…

違う、違うだろう…俺は――

「不破さん…」
「尚だろうがよ!」
「…尚…」

キョーコは少しばかり感情の定まらない視線を俺に向けた。
瞳が潤んでいる。

「ご飯、食べるでしょう?」
「…ああ…」

何か物足りない。普通だ。酷く当たり障りの無い態度だ。
それが酷く俺に飢餓感を感じさせ苛立たせた。

「よそよそしい恋人だな…」
返事は返ってこない。ただ美味そうに湯気を上げたご飯を目の前に置き
キョーコも自分の分に手を出し始めた。

何となく毒気が抜かれた俺はあの時言えなかった言葉が言いたくなった。

「飯、美味い」
「――え?――今、何て?」
「もう二度と言わねーから耳かっぽじって聞けよ!」
「――うん」

言い出して後悔した。もう金輪際こんな事言わねー。
俺は俺の気まぐれに心底溜息を付きながらも後に引けない空気に
なるべく聞こえない様に…

いや、今更無かった事に出来ないのは分かってるんだが
音量を小さく、消え入りそうな感じで言ったらもしかしたら
コイツの記憶から消えるんじゃないか、何て淡い期待をしながら
そっと言葉を吐いた。

「…飯うまいっつってんだよ、カス!」
漏れる息の方が大きい程の小さな声だ。そしてこんな事言った後は
騒音でかき消してしまうが一番とばかりに俺は食器をわざと鳴らして
飯をかっ込んだ。

キョーコは固まったままだ。俺は顔が上げられない。

「早く喰えよ!冷めるだろうが!」
「そう…ね」

迷いを含んだ頼り無い声で帰ってくる返事に思わず俺は顔を上げた。
キョーコは…嬉しい顔を噛み殺しているのか、逆に少し怖い様な顔で
頬を染めていた。

「敦賀にもそんな顔してんだろうな!」
口の暴走は如何にも止まらない。
「あの人は…紳士だもの。不味くても美味しいとおっしゃるわ」
「味音痴じゃねーの!俺は美味いモノにしか言わねーんだよ!」
「どうしちゃったのよ…尚…」

コイツのペースに踊らされてるのだろうか
如何にも調子が狂ったまま戻らない。

「お前が――オカシイから釣られちまうんだよ!」
「だって恋人役なのでしょう?」
「そもそも俺はそんなの望んでねーっつーの!」
「だったら――祥子さんに言って依頼を取り消せば良いじゃない」
「それは…」――言いたくないとは言えない。理由を聞かれても答える術は無い。だから俺は――

「世話役は要るんだよ!」――そんな嘘を付くしかなかった。
側に居て欲しいなんて…言えないし、そもそもそんな事、思ってるのかが分からない。

でも要るんだ。キョーコが。俺に分かるのはそんな不明瞭な感情だけで
言葉で表現出来る様な簡潔な感情を持ち合わせて無かった。

ずっと何が在ってもキョーコは俺とセットだと思ってた。
それはキョーコが嘗て毎日毎日俺に言い聞かせたから
思い込んでしまったのかも知れない。

いや、そもそもコイツに絵本を毎日毎日読み聞かせて
幻想の世界に連れて行ったのは俺なんだがこんなに嵌るとは普通思わないだろうが!

とりあえず俺がキョーコに持つ感情は好きだ、とか、愛してるだとか
そんな使い古されて意味をなくした言葉では言えない、もっと複雑に絡んだもので――

そんな事、言える筈も無く、言う術も無く、側に居させたくとも理由が無い。祥子さんが作ってくれた切欠は俺の枯渇した感情を埋めるには必要不可欠だった。

【続く】


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