第四話


余りの急展開に思わず硬直してしまう。
敦賀さんはそんな私の事など知っているとばかりに強引に手首を掴み
私を見覚えのある車の止められた駐車場まで連れて行った。 


先ほどから真っ白なままの頭が動くはずも無く
ただ無意識に「ごめんなさい」を繰り返し体を縮めていた。

助手席に押し込む様に乗せられ車はそのまま出発。
無意識に紡がれる謝罪に答えが返ってくる事なんて無かった。

いつの間にか車は先輩の家の駐車場に付き、件の先輩がゆっくりとブレーキを踏み今、止まった。
定位置に収められた車からいつもならさっさと降りる先輩がハンドルに伏せる様に頭を置いた。

「…敦賀…さん?」
具合でも悪いのかとそっとその肩に手を伸ばした途端
舌打ちが聞こえ、温厚な筈の先輩が先ほどまで伏せていたハンドルを拳で殴った。
私はその振動と先輩の様子に怯え思わず助手席の上で縮まった。

「気持ちを整理してから来るべきだったんだけど…」
ゆっくりと先輩がこちらを向いて微笑んだがそれはいつもの似非紳士の顔で――
その事が酷く胸を刺した。

「あんな…あんな…」
こんなに動揺した彼を見るのは初めてで…今の今まで何処か半信半疑だった
彼からの告白がこの時初めて真実味を帯びた。

「好きなのか…不破が…」
そんな答え、私が知りたい位だった。当然返せる答えも持っていない。

「…だったらそれで誤魔化す必要など無いのに如何して謝ったりするんだ!
期待を持たせて…」
「それは私にも…」
「私にも…何だ!」

怖くて目が見れない。やましくて心臓が縮みそうだ。
返す言葉も無い。車内は監獄の様に重々しい静けさに満ちていた。

「…ごめん」不意に謝る先輩に驚き初めて先輩の目を見た。
「敦賀さんが謝られる事なんて…」
「例えば俺が君の恋人なら責める権利も在るけど俺は…只の先輩だ」
「違います!」

先輩はこちらに向き直った。

「だったら…何?」
「それは…」

あらゆる言葉を脳内で並べてみた。尊敬する先輩
可愛がって下さるお優しい先輩。ずっと見守って下さっていた方。演技の神様。

何もしっくり来ない。

一緒に居れば安らぐ人。疲れたらハグが恋しくなる魔性の人。
お知りを叩いてくれる人。そして誰より私を信じて下さる…

「大切な方です。とても大切な方です。言葉が見つかりません…」
どうしてこうも涙ぼろくなってしまったのだろうか。
この仕事を引き受けてから私は酷く情緒不安定になっていた。

敦賀さんはどんな顔をしていただろう。
きっと凄くお困りになっていたに違いない。
私は自分でも腹立たしい程、不自由な精神に振り回され
わずらわしく思われているだろうと思いながらもそれを安定させる術を持たなかった。

「見捨てないで下さい、とは言えません。この前の返事も出来ません。
私はもう私が何をしたいのか…また見失ってしまいました…」

これでは只の愚痴では無いか、と自分を勇めた時にはもう言葉は取り返しの出来ない所に言っていた。
この上なく不甲斐なく、そして失礼な言葉だったと思う。取り繕え無いと思える程度には。

何か言いたくて、それでも言葉も出なくてただ自らの膝に置かれた先輩の腕にそっと手を乗せた。
失う前に触って居たかったのだろうか。それとも只…

傷ついた人間は傷ついた状況を何度も作り出そうとすると言う。
何度も同じ状態で傷つく事で消化出来ないその事象を復習し理解しそれを克服する為とか何とか。

また振り払われるのだろうか、私は。そして傷つくのだろうか、私は。
そんなの慣れている筈なのに柔らかな笑顔をくれたこの人が
愛情の篭った鞭を下さったこの人が

――次にあった時、まるで赤の他人を見る様な突き放した笑顔で
こちらを見るのかと思うと馬鹿馬鹿しい程涙が出て、突き抜けてしまったのか何だか笑ってしまった。

「っはははッ!敦賀さん、わ、私もう…っふふ…馬鹿みたい…」

驚いた顔でこちらを見る先輩の目にさぞかし私は気狂いの様に見えている事だろう。
嫌ってくれればいい。もう凍りついた顔で微笑む様な悲しい顔をされない程避けられれば良い。
そう思って、湧き出るまま笑い、泣いた。

しばらく室内は私の笑い声と嗚咽と鼻を啜る音で騒々しかった。
何を思ったのかてっきり怒っていると思っていた敦賀さんが私に釣られる様に笑い始めた。

「っはははは!俺はまったく!」
「ちょっ!何を笑って…」
「きっと君と同じ理由だと思うよ。嫉妬で狂いそうになってそれでなくとも
悩んで疲労困憊している後輩に問い詰めて…何て。本当に恋ってオカシクなるんだね」
「同じ理由じゃないですよ!」
「同じだろ。俺と不破に挟まれて、ソレでなくても強引な不破に引きずられ過去を思い出して…
俺はと言えばそんな不破に君と同じ様に引きずられ…危うく君を…」
「え?」
「何でも無い」

一瞬真剣な顔で拒絶の意を示した先輩は深く深呼吸をして
考え込んだから私は底から湧き出る自棄としか思えない笑いが止まり
自分も少し冷静になって考えられそうな気がしたから驚きだ。

「エゴを愛と履き違える程馬鹿にはなりたく無い」
敦賀さんは独り言を言う様に話し出した。

「でも情熱が人の心を動かしてしまうのも事実…」
自覚はしていないまでも心の底でその言葉は的を得ていたのか鼓動が跳ねた。

「取られたくは無い。でもこのまま君の腕を彼と同じ様に感情のままに引っ張ると如何なるかと言うと…」
彼は大きなため息をまた一つ落とした。

「仕事では存分に追い詰めたい所だが…それ以外で君が苦しむのは見るに耐えない」
彼なりの優しさの篭る拒絶だと理解した。心の重さが急に必要以上に軽くなった様な…
違う。心に穴が開いた、が一番近い。すかすかした軽さと寂しさで涙も止まった。

「有難う御座います」
まるで棒読み。演技なら駄目だしされる以前のニュアンス。
でもそう言うべきだと思っていた。

こんな面倒な私に目を掛けて下さった事。
私の夢を守ってまでずっと見守ってくださった事。
そして一時でも私を欲しいと言って価値を付けて下さった事。
有難い話だと思う。それが例え今日までの事でも。

「有難う御座います」
自分に念を押す様にもう一度言った。心に残ってどうしようも無い未練を
何とか振り切ろうとした。

不意に彼の腕に乗せた手に違和感を感じた。
どう言う意味か私の手の上には彼のもう一方の手が乗せられていてそれはとても暖かかった。

「演技でも何でも好きな様にやれば良いよ、答えが出るまでしっかりね」
「…はい」
「何が芸の肥やしになるか分からないし、意固地になって人生を狭めるのも駄目」
「…はい、精進したいと思います」

「俺は待ってるから」
「…え?」
「いつまでも君を待ってるから」
ぎゅっと握られる手に少しばかり熱が篭る。

「ずっと見守っているから思う存分傷ついておいで」
そう言って微笑む彼に私は初めてキスがしたいと思って…


――堪え切れずそうした


「帰ってきます」
いつの間にか見えなかった筈の答えが見えていた。
私はこの人が好きだ。だからあんなにも疚しかったのだと今更理解する。

ずっと恋人かの様に錯覚をしていて、
それを当たり前の様に敦賀さんも受け止めてくれるから定着してしまって…
悩んでも揺れても到着する所はとうに決まっていたんじゃないの?

「少しばかりの嫉妬は許して貰える?」
「私に非が在りますから…」
「最後の一線は…」
「死守します!」
「今日は?何をされてた?電話の向こうで何が…」
「それは…聞かないで下さい!」
「…送っていくよ。また俺が暴走しない様に…」

私には苦笑しか出来なかったが本当は少しばかり…
その先輩の苦しみが嬉しかったと言うときっと罰が当たってしまうだろう。

車中では尚の事には一切触れずに他愛の無い話をした。
そして別れ際「もう少し、あの仕事を続けようと思います」と言うと
彼は黙って「そうだと思ったよ」と無表情で答えると頷いた。

罰当たりだとは思う。でも帰れる場所が出来た、とか言う理由で
この問題を放って置くのも逃げるみたいで嫌だったし何より折角真正面に
敦賀さんと向き合ったとしても解決しない限りはいつの日か、何かの拍子に溢れて来ないとも限らない。

あの人と向き合うなら身奇麗に。
雑念の無い状態で。だってこんなに大切にして下さってる方だから尚更中途半端な気持ちで向き合いたく無いから。




【続く】



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