第六話


私はいつもの様に家事を始めた。
あの時、かつての彼ならしなかった事を今の彼は当たり前の様にした。 


こういう事が私の調子を狂わせるんだろうと思ったし
かつての私なら絶対言うだろう言葉が頭に浮かび、今の私なら
そうやって盲目に尽くす事を馬鹿と思うんだろう言葉を吐きたいままに吐いた。

「尚は曲作らないと、でしょ?」
「もう提出したっつーの!舐めんな!」
「私、乗ってるから追加曲書くとか言ってるって言っちゃった…」
「何でそんな嘘つくんだよ!」
「知らないわよ!…咄嗟に出たんだもの!それとももう来ない方が良かったの?」

返事は帰ってこなかった。余りにも尚が深刻な顔をするから思わず励ます様に
声を明るく放ち空気を盛り上げた。

「さぁ!掃除は良いから曲作り、曲作り!」
「…ああ…」

尚はこちらに少し未練を残す様に何度か振り返り諦めた様に少しうな垂れ
ギターを抱えたけどなにやら少し頬を染めると意を決した様に弦を弾き出した。

その様子が何だか犬の様で少しばかり愛らしいと思ったのは
本人には言わずに置こうと思いながら手にしていた掃除機を壁際に置き
音の邪魔にならぬ様に雑巾に持ち替え床を拭いた。

てっきり私はこいつ特有の自己満足に浸った
耽美なラブソングでも弾き始めるのだと思っていた。

愛してる〜、とか離さない〜とかそんな薄っぺらいの。
尚ちゃん好き好き〜ぃ!だった暗黒時代ならそれでも尚の口から
そんな言葉が聴けると言う所にその曲の良さがあったしメロディーも
悔しいかな綺麗だった。

そんな曲の延長線上にある曲が聞こえてくると…私は思ってたのに!

涙が次々に床に落ちた。拭いても拭いてもキリが無い。
音が昔を思い出させた。故郷を思い出させた。
二人の想い出を…川のせせらぎを…
辛かった日々を…それでも幸せだったとか思ったり…

それを全部包み込む様に尚は歌った。
愛してる、とか好きだとか言わなくて只情景を描いているだけなのに。
こんなにも私は…


――こんなにも私は愛されているのだと直接心に届けられた。


何度拭いても床は水浸しだ。私はもう彼を振り切ろうと…
その決意をして此処に居ると言うのに何故にこうも安易に
心を満たされてしまうのだろう。

辛くて、申し訳なくて、酷く幸せだった。

「おい…キョーコ?」
心配そうな尚の声、肩を揺らされても何も言葉なんて出ない。

「おい、ちょ!何だよ!如何したんだよ!腹でもいてぇのかよ!」
揺らされる度に涙が落ちる。私はいつからこんなに言葉に不自由になってしまったのだろうか。

「救急車か!何処が痛いんだ!早く言え…」
「……になったね…尚…」
「あ?」
「…良…い曲…作る…になったね…尚…」
「俺は前から良い曲をだな…」
「有難う…」
「はぁ?」

心底心配してくれるその声が、行為が先ほどの歌の衝撃の余韻のせいか
酷く嬉しく…そして愛しく思った。心の中で先輩に謝りながら
私は彼の首に手を掛けぐっと引き寄せた。

愛しいと思う気持ちに嘘は無い。
嘘を付いている限り正しい道は見えてこない。

――ずっと見守っているから思う存分傷ついておいで

先輩の言葉が私の罪悪感を少しだけ緩めた。
私は今の気持ちに…少なくとも此処に居る間は流され様と思った。

「有難う。…りがとう…」
「ああ…」
尚のぶっきらぼうな声が懐かしくて恋しくて…嬉しくて泣いた。
自分でもおかしいと思う程度には泣いた。それでも尚は何も言わずに
只私を抱きしめたままじっとしていた。

暖かくて気持ちが良い…けど少し――先輩とは違う香りに戸惑っていた。
不意に尚が私の体を軽く突き放してリビングに行くと尚の手には似つかわしくない様な
可愛らしい紙袋を持ってきて私の鼻先に突きつけた。

「何これ?あ、この紙袋、雑誌で見た事有る…祥子さんに?」
「馬鹿かお前!」

尚は黙って私の手にそれを持たせた。
ああ、そうか。私は今、仕事中なんだと思い出した。

「え?どっかに届けて来るの?」
「ほんっとうにお前は…」
「分からない」
「おめぇにだよ!カス!」

――嘘……でしょ?尚が…私に?自分の物は自分の物。
私の物は俺の物でお馴染みの尚が私に?

「要らねぇなら捨てんぞ!ごるぁ!」
「要らないとかじゃなくて…」
「渡したのに離したって事は要らねぇんだろが!」

尚はそう言ってゴミ箱にそれを捨てようとした。

「ちょーーっと待って!待って!要る!要るから!」
「ほらよ」

思わず胸がドキドキしてしまう。だってこんな事滅多に無い事で…

「中身、見て良い?「
「ああ…」

淡い色彩の柔らかな紙に包まれたそれはとても可愛くて
細工も色も何もかも…小さな頃から夢にまで見た…

「ヤダ!如何しよう!凄い!可愛い!」
思わずはしゃいでしまうゲンキンな私を満足そうな優しい目で尚は見た。
それに少し心が跳ねたと言うのも無理は無い話だと自分で言い訳をしながら
服を眺めては胸に当て振り回して喜んだ。そうすればする程尚が目を細めたから…。

「着て来いよ。サイズ合うか分かんねぇし…」
「うん!うん!…あ、でも…」
「…覗かないでね?」
「期待してんのか?」

「違うわよ!だって前…」
「続きして欲しいのか…」
「殴るわよ!」
「そんな貧相な体、もう触らねぇよ!」

「貧相ですってぇぇ!」
「そんなに貧相って言われるのが嫌なのか?」
「嬉しい筈無いでしょうがぁぁ!」
「また揉んで大きくしてやろうか?」

――やっぱこいつ最低!

私は警戒心を目一杯顔で表現しつつ、怒りも最大限に表現しつつ
足は小躍りをせんばかりに、と言う複雑さでバスルームへ向かった。

そしてその服を鏡で見て再認した。
きっと尚のあの様子だと全然覚えては居ないんだろうけど
この服はとても私が幼少の頃に大事にしていた童話のお姫様が
結婚式で身に着けていた服に良く似ていた。

「お姫様にしては地味なのなー」小さな尚が私にそう言った服。
「スカートも膨らんでないしドレスにしては地味かも知れないけど私は好きなの!」
「ふ〜ん?」
「好きなんだもん!」

「俺はお前の王子様なのな?」
「そうよ!で、私がお姫様!」
「俺はお前にこれ買ってやんなきゃいけないのか?」
「そう言う訳ではないけど…」
「絶対嫌だ!死んでも嫌だ!」
「えーー!」


覚えて無いんだろうね。でも何処か記憶の端にでも残していてくれたのかな…何て思うと
愛しさが暴走しそうで…鏡に向かってさっさと髪を整え尚に見せに戻った。

「ウエディングドレスみたい…」
「アレはもっと豪華だろうが。これはもう少しシンプル」
「こんなの…特別な時で無いと着れない…」
「日頃使いも出来るだろう…」
「そうだけど勿体ないじゃない…こんな…こんな…」

一周くるりと回ると照明に照らされた光が天井にウツリキラキラと動いた。
その光が京都でいつも遊んだあの小川からの照り返しを思い出させた。
ふざけあった日々が今はもう懐かしい。

「馬子にも衣装…だな」
「有難う…」

普通にお礼を言おうとしたが先ほど昔を思い出してたせいか
反射的に「でも私がアンタに掛けたお金はそんなモンじゃないから
受け取ってあげるわ!」と返事をしていた。

「だな」、
「そうよ!」
「でも…祥子さんに頼んだの?」
「あの人が忙しいからおめぇが来てんだろうが!」
「じゃぁ誰が…」
「聞くな!」

尚は不自然に私に背を向け食卓に座った。
誤魔化してる!柄にも無い事したなーって思って照れてる!

つい悪戯心と言うか、嬉しくてからかいたくなったと言うか…
その俯く顔を覗き込んでわざと冷やかす様な意地悪い顔を作り
私はむふふ…と笑った。

「っんだよ!」
「えへへー…」
「ぁんだってんだよ!」
「ショー…」
「……」

「しょーちゃん!」
「っるせぇ!」
「しょーーーちゃんっ!」
「鬱陶しいんだよ!」
「しょーたんっっ♪」

「気持ち悪ぃな!もう!からかうなよ!」
「……有難う…恥ずかしかったんじゃない?」
「…………死ぬ程な!」
「柄じゃないもんね…」――本当に、有難う。

愛しさがこみ上げてきて思わずその背をぐっと抱きしめた。

――敦賀の事が好きな癖に…

愛しさで暴走しそうになっていた心がまるで楔を打たれたかの様に
急に止まり身動きが出来なくなった。罪悪感がもやもやと心を濁す。

自分の立場は此処に彼との踏ん切りをつける為で
別に恋人として成りに来た訳じゃない。私の到達点は恐らく敦賀さんできっと尚の事は…

如何して愛しい何て思ってしまうんだろう。
報われなかった過去を潤すまでに止めておかないといけない筈なのに…

人道的に考えて私の心が敦賀さんに傾いている所で本当は
此処に来るべきでは無いのに…彼の…尚の心を弄んで傷つけてしまうのに…

私はもう私に嘘は付きたくない。
今は演技でも何でも無く凄く尚が好きで溜まらない。

これはこの部屋に居る間の仕事だと言う言い訳が在って
部屋を出てばきっと敦賀さんの着信に心を弾ませる様になる。

私…滅茶苦茶じゃない?凄くずるくて悪い事していない?
きっとしているでももう少し、もう少しだけだからこの想いを大事にさせて…

――良いでしょう?貴方だって私を傷つけたもの。
傷つけられた分、仕返しさせて貰うわね…

「…あ?」声に不安が感じられた。私は多分知らぬ内に独り言でも言っていたのだろう。
質問を無視して私は自分の卑怯さに甘んじる決意のまま宣言する様に言った。

――此処にいる間、私は恋人なのでしょう?




【続く】



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