第七話


自分で言うその言葉の響きが恥ずかしくて、くすぐったくて…
そんな感覚が酷く痛く気持ちが良くてもう一度繰り返した。 


「恋人なのでしょう?」
「そう言う…依頼だったな」
「有難う、ショーちゃん好きよ」

言葉が口を通して出たと思えばそれは逆に自分に染み入る様に
どんどん感情が高鳴ってきた。

私は自分に浸っていたのかも知れない。
痛みと甘美な心の高鳴りに酔っていただけかも知れない。

酷く愛しそうに私を見るその目が愛しくて、
かつて一度もされた事の無い恋人扱い≠されて
そして珍しく飾らない彼の歌に心を踊らされて…

今まで私は一体何を恋と言ってたのだろう…と思った。
憧れにフワフワと心躍らせて夢を見ていて一体何をしていたのだろうと思う程
理屈じゃない所で私は確信してしまった。

――情熱が人の心を動かすのもまた事実…

動かされてしまったのだろう。
過去の残像、満たされず成仏出来なかった恋心の渇望も手伝って
私は今此処で尚にも恋をしていた。

――思う存分傷ついておいで

敦賀さんはきっと私がこうなる事も分かっていたのだろうと思う
それでも見守ってくださると言う懐の深さに私はきっと戻らずには居られないだろう。

束の間の恋。束の間だからこそ衝撃。
酷く感情が高鳴るのは束の間だから?――こんなにも尚のシリアスな戸惑いが愛しいなんて。

「お前…何言ってるのか…」
抱きしめて頬に接吻をすると更に感情が高鳴る。
胸の底に沈殿する生理痛の様な愛しさに思わず感際まり涙が出た。

「好きよ…ショー…」
泣いてばかりもしてられないと手の甲でぐっとそれを拭うと
貰ったそのワンピースを見せる様にくるりと体を回した。

「似合うよね?天下の不破尚が見立ててくれたんだもん!」と言った。
「当たり前だ、俺様のセンスに間違いはねぇよ!」

偉そうに胸を張る尚はいつもの様に子供で…それが酷く嬉しく思えて微笑んだ。

「その…綺麗…だ」
「大事にする…」

ああ、私はきっとこの時を一生忘れないだろう。
顔を赤らめ照れて鼻を掻く彼を…そのいじらしさを…その嬉しさを…その苦しさを…。


「…汚れたら嫌だから…」揺ら揺らと揺れる淡い恋心がしくしくと痛み、耐えかねて席をはずすつもりが手を取られて見つめ合う形になった。
「汚れたら…また買ってくるから…」さっと目を反らしながら言われる言葉が酷く健気で胸を指し思わず目を見開いた。

「その…いつまでも貢いだ、と恨まれたら…う…鬱陶しいからよ」
取り繕えば取り繕う程、言葉と反対の効力を発する困った言葉に思わず苦笑してしまう。
じわじわと、じわじわと想いが蝕む。突き放されれば突き放される程、心の距離が近くなる。

何を考えてるのか、まるで迷子の犬の様な目で尚は私を眺めていた。

「如何したの?私の顔に何か…」
「目と…鼻と口が付いてる」
「そっ!それは付いてるわよ!付いてない方がおかしいじゃない!」

私は思わず噴出してきっと彼も…と思ってたが尚は酷く上の空でその瞳に動揺を浮かべていた。

笑ったり、迷ったり、疑ったり、突き放したり、突き放されたり…
本当に尚との想い出は一口で語れない程に積み重ねてきた。

ふらふらとその距離は変化してその度にこうして彼の顔を覗き込んでいた様な気がする。
何年も一緒に居たのにちっとも安定しない私達。本当に――

「何してるんだろうね…」
「…何の話だよ…」
「何も無いわ…、ほらじゃぁさ!お礼にプリン作ったげる!大きいの!すっごく大きいの!」
「そんなに食えねぇよ…」
「今日作って、明日一緒に食べれば良いじゃない!」
「明日…」

尚は軽く考えた後、寂しい顔をしながら少しだけ口角を上げた。
その顔には見覚えがあった。

尚が段々と私を避ける様に家から出て行く様になった頃。
部屋の静寂がまるで拷問の様に私を孤独に追い込む様になった頃。

「ねえ?いつ帰る?こんなに沢山荷物持って行くなら何日か開けるんでしょう?」
「…ああ…」
「…ほ、ほら私にもご飯の都合とか…」
「自分の分だけ作ってろよ。俺は良いから…」

言葉がギスギスと音を立て空間を埋めた。あの時の私はその空間が何よりも怖かった。

「…じゃ、じゃぁさ!そうするからちゃんと帰ってきてね。何時でも買い物出来るスーパー見つけたし!」
「…ああ」
「で、あの…ショー」
「忙しいから。もう行くわ」
「あ…うん…」
「じゃな」
「…い、行ってらっしゃい!頑張って!」

何が行ってらっしゃいよ…少しずつ自分から離れていく尚に気がついて…本当は行かないで、って言いたくて…
でも重たいって捨てられるのが怖くて…寂しいのに笑ってた。きっとちゃんと笑えてなかっただろうと今、思う。
尚を見送った後鏡に映る私の顔はいつだって嘘に歪んで引きつって…今の尚の様な顔をしてた。

私は今、貴方に痛みを返してるの?私は復讐を遂げているの?

あの捨てられた日からずっと頭の中で思い描いていた復讐劇は酷く痛快で楽しいものだった。
尚が泣けば良いと思った。苦しめば良いと思った。

だから本当なら私は今、笑ってなきゃいけない筈なのにあの時の自分の痛みと
それの所為で想像してしまう尚の痛みで二倍、苦しい。

「明日は出かけるから居ないかも知れない」
「じゃぁ残しておけば次の日にでも食べられるじゃない。一人で食べたいならそれで…」
「用事が終わったら…電話する…」

なんて事だろう。一人で食べて欲しくないと何故私が思わなければいけないんだろう。
事情が在ったとして、無かったとして寂しい思いをさせられたのは事実で恨む権利や報復する権利はちゃんとある筈なのに
…尚を寂しい空間に置きたくなかった、、なんて馬鹿女扱いされても仕方ないわね。本当に馬鹿。

「楽しみにしてて、もう暫くプリン見たくない気分にさせる程大きいの作って上げるから!」
「…はは…楽しみだよ」
「そういえばこの間ねー?…」
「…へーー、そうか、ははははは…」

砂を噛む様な時間。心の距離がまた離れる。
そして私はまた何とかしてそれを繋ぎとめる様に言葉を紡ぐけど尚はあの時と同じ様に上の空だった。

悲しい顔で――上の空。そんな尚の表情を気にしたままで、特にその事に触れもせず当たり障りの無い会話で
時間を埋めいつの間にか帰る時間が来ていた。

「じゃぁ…また明日」
何度も尚の顔色を気にしながら靴を履き、かばんを持って玄関で別れの挨拶をした。
帰って来ない返事に何か忘れ物をした様な心持ちで玄関のノブを捻ると
「送っていく」と思いつめた様な尚の声と言葉が私を引き止めた。

その申し出を嬉しくないと言えば嘘になる。
でも大切に扱われれば扱われる程に積もる思いがはちきれそうになって苦しい。

私には帰る場所がある。心を砕いて見守ってくれている人が居る。
その事を思い出すと衝動的にその人の声が聞きたくなるのもまた事実。

「私の…仕事はこの扉まで…だから…」
自分への楔として、先輩への忠誠の証として、その言葉がどれほど彼を傷つけるかを知りながら吐いた。
その罪は彼の表情で罰となり居た堪れなくなった私は挨拶もそこそこにその扉を閉めた。

扉越しに物音一つも聞こえてこない事から彼が呆然と立ち尽くしている様子が嫌でも伝わる。
すぐにここから立ち去るべきなのに足が動かなくてそっと背をその扉にもたれ掛かった。

この扉の向こうに居た時の様に泣く事が出来たら
私の気持ちは少しでも楽になったかも知れない。

うな垂れながら立ち上がり振り替える扉は酷く頑丈で冷たく見えた。
視線を落とした先に見えた携帯を思わず縋り付くように握って歩いたけれど結局家に着いても頭に浮かんだ人に掛ける事はしなかった。


【続く】





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