第七話


結局、そう何度も奇跡が起こる事も無く。
(この広い都会であんな特異な人間を一度探し出せたんだから
俺は奇跡と呼んでも良いと思う)

俺達は妙な脱力感と何とも言えない虚しさを持て余していた。
心が動かなくとも車は動き俺を家の近くの――最初に敦賀に拾ってもらった場所に着いた。あの時の焦りが恋しい程、物寂しかった。



「――じゃな」
「じゃ――」

俺は思いの他、弱い人間なのかも知れない。
あの一人暗い部屋に帰るのが怖かった。
予想しうる寂しさの、虚しさの暴走が怖かった。

それにあの緊張の中、共に行動した事で
地元のツレと一緒にいる様な――何か巧く言えないが
そう言う――

いや――何か劣等感とかそんな邪念が蠢いて非常に、ひじょーーに…
俺があの敦賀に――何て本当に気持ち悪いんだけども!
もう少し一緒に話したい――そんな気になった訳で。

「あ、あのな?え、、、と。明日仕事早いのかよ」
「え?――まあそこそこ――でも少し位大丈夫だよ」

俺の言いたい事は分かってるらしい。

「寄ってくか?マネージャーは帰って来ないから気楽に話せるし」
「冗談だろう?」

敦賀は笑い、俺も自分のらしくなさに思わず赤面した。

「――だな。帰るわ」
そう踵を返そうとした時の敦賀の言葉には驚いた。
「どうせ飲むんだろう?俺は車だし――
何より事務所が違っても業界では先輩だから君が譲って
俺の家に来るべきだろう?」

『先輩』の所を強調して言ったのは今までの俺の無礼に対する意趣返しだろう。かと言って怒ってる様子も無い上に笑っているから茶化しただけだろうが。

「取りあえず着替え持っておいで。昼には上半身裸で車に乗ってた男が
午後には運転手の服を着て、あまつさえマンションに一緒に帰ったら――」

俺は思わず吹き出した。

「そうやってホモ説を流しておいてライバルを蹴落とすのも
楽しいかも知れないな」と笑うと彼は溜息を付きながら
「それで流れるのは俺と君のホモ説だよ――」と苦笑した。

「わ、わーってら!」
完全に人事だと思ってた俺は自分の馬鹿さ加減に思わず赤面しながら
踵を返して部屋に戻った。

取るものも取らずに出た部屋は想像以上に重苦しく感じた。
机にある物は床に落ち、ゴミ箱は倒れ、一日程度の短い時間
掃除をしていないだけなのにギターには埃が僅かに溜まっていた。

キョーコが来てくれていた時の記憶を辿ると
不規則な作業の音とキョーコ独特の少し幼い香り。

そしてその背後に見える風景はいつでもきっちりと整理されていて
埃だってなくて――何かピカピカと輝いていた様に見えた。

「まあ、塵でも何でも在るより無い方が寂しいわな…」
一人、静かな部屋でそう強がってみたものの押し寄せてくる様な静寂に
余計に溜息が深くなるばかりだった。

「さっさと――行くか」
濡れた敦賀の服をここまま此処に放り出しておくのも忍びなくて
(本当はクリーニングに出して返すのが礼儀なんだよな。それ位知ってるぜ)それを手に掛けたまま手早く服を見繕って着替え、癖でギターを抱えて部屋を出た。

二つ三つ転がる塵を柄にも無く丁寧に起したゴミ箱に入れた。
一気に退廃した様に見えていた部屋がたったそれだけで少しばかりマシになった気がした。

「居なきゃ居ないで…それでいい奴だったんだ――」
呟いた自分の言葉が自分の首を絞める様な圧迫感を感じさせたから
それから逃げる様に部屋に鍵を掛けて出た。

国道の先ほどの場所に着くと敦賀は車から出てその車体に持たれかかり
何やら考え事をしている様だったが俺が近づいたのを察すると
さっと運転席に乗り込み俺にも乗る様に促した。

「ずっと乗ってると少し腰が痛くてね」
「誤魔化さねーでも良いだろうがよ!」

きっと同じなのだと思う。
車内の狭い空気が、その静寂が苦しく感じるのだろう。
敦賀のその痛さを孕んだ様な顔がその仮定を裏付けた。

恋だ愛だと歌う身でこんな事を思うのもどうかと思うが
今の自分やコイツの想いが言葉にしたくない程恥かしく――苦しい。

たった一人の女が居ないだけで――その苦しさに耐えかねて身を寄せる。
たった一人の女に拒絶されたからって――こんなにも酷い気分になる。

「馬鹿だな、俺ら」
「本当にね――」

敦賀はそう軽く吐き捨てながらアクセルを踏んだ。
俺は先ほどまでの作業の癖が付いたのだろう。
窓の外の景色からもう居る筈の無いアイツの姿を探していた。


外はもう真っ暗だ。
街灯やヘッドライトに浮かび上がる人間を通り過ぎる度に
少なからず期待してしまうのが悲しいがそれでも他に何も出来なくて
ずっとそうしてた。

「音楽でも掛けようか?」
「止めてくれ」
「あの子は君の事を『自分大好きナルシスト馬鹿』って言ってたから
自分の曲でも聞けば元気が出ると思っ…」
「冗談キツイぜ、敦賀さんよ…」
「…そう」

こんな気分の時に自分の薄ら寒いラブソングなんか聴いてみろ。
腹が立つ。いや、普段は全然良いんだが。むしろ聞きたい位なのだが。
愛でたい位なのだが。曲が流れた後にパーソナリティーが言う
俺と俺の曲への賛美はもう溜まらない位大好物なのだがそんな気分じゃない。心が余計に沈む気がする。

「この経験は芸の足しになるね」
そんな敦賀の言葉はまるで自身に言い聞かせている様だった。

「演技はともかく余り重いラブソングは売れねぇよ」
「偶には売れなくても思いの丈を詰めただけの曲を書いたら良いんじゃないか?」
「こんなの…?書きたい?じゃねーだろ」
「溢れる…か?」

その言葉が余りに臭くて返事し難かったが内心は同意していた。

「吐く…だろうな」
「一緒の事と思うよ」

アイツは笑った。
窓の外は高層ビルがまるで剣山の針の様にそびえ立っていた。
外車ばかりが目に付き、俺の劣等感をくすぐった。

ここはキョーコの居る筈の無い景色だ、と何となく思った。
見栄とコンクリートばかりが固まる無機質な世界が酷く不釣合いな――

ああ、そうか。そうだったのか。だからアイツは植物園に居たのか。
普通の生活なら別に問題無いが、何か思い悩むとふと充電したくなるんだ。俺がキョーコを求めた様にアイツはああ言う環境を求めて――

何故キョーコはこんな息苦しい所へ居るんだろうって
それは俺が連れてきたからな訳で。

何故キョーコはこんな所に居続けるんだろうって…
それは多分――

敦賀を見た。敦賀は「ここだ」と言うと景色は不意に明るくなり
そこが奴の家に付いている駐車場だと理解するには少し時間が必要だった。

「はあ?」
「――え?」

此処は住居に付いている駐車場にしては余りにも広く
まるでテーマパークのソレの様だった。

打ちっぱなしの洒落た造りの壁には青い光がぼんやり輝き、
その青い光に浮かぶ見知ったエンブレムが並ぶ、並ぶ。

呆気に取られていると不意に車が減速し、すかさず制服を着た男が運転席の扉を開け敦賀は当たり前の様に車を降り、近くに見えているエレベーターに向かって歩きながら俺に「来いよ」と首で合図した。

「え?あ?え?車、おい車は?」
「ちゃんと入れておいてくれるよ」
「鍵は?」
「皆、スペアを渡してるからね」
「どっかへ持っていかれて売られたら如何するんだよ」
「大丈夫だよ。保険も入ってるらしいし」
「……らしいし、、、だぁ!?」

はぁぁぁ!?とかああああ?とかそんなじゃ無かった。

「ぼぇぇぇぇぇぇぇ!」俺は奇声を上げて爆発的な劣等感を吐き出した。
敦賀は首を傾げたが説明してやらん。このクソ野郎。

こんな生活…

俺 も し て ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ !

華麗に帰宅するんだ。
追っかけも厳重なセキュリティーに阻まれて入れなくて
玄関で写真とか撮りながら「やっぱり不破尚は凄いわね」なんてな。
「こんな所住んで見たいわねー」とかな。

「こ ん な 所 、 尚 と 住 め た ら 夢 の 様 よ ね 」

とかな!俺はそんな尻の軽そうな女ごめんだがな!
俺はきっと芸能界一良い女と住むからな!

そう思って頭に浮かんだのはキョーコで…
芸能界一良い女ってのが浮かばなくて。
ただ、キョーコで、他に誰の顔も浮かばなくて――

「……わ?…わくん?…不破くん?」
「ぎゃぁぁ!」

気が付いたらもう部屋の前についてたらしく。
もう敦賀は扉を開けて入ってしまったのに俺ときたらその前で百面相だ。

「ちょ、ちょ、と考え事をな!」と慌てて答えるも
「分かるよ…」と敦賀は俺を気遣った。

多分、何か誤解はされてるだろうが遭えて正して恥を掻く事も在るまい。
俺は少し躊躇した後、お邪魔しますと呟いて家に入った。
そわそわして周りを見渡したり、壁を触ってみたりした。

そんな俺を見て敦賀は
「此処に来たての最上さんもそんな感じだったよ。似てるね」と
切なげに笑った。

大概の庶民はこうなるだろうよ、と思ったけど
そこを突っ込むと自分の庶民っぷりを露呈する感じになるのが嫌で黙った。

「いつも呑んでるんだろう?」
敦賀はビールの缶を目の前で軽く揺すった。

「呑んでるけど…良いのかよ、俺、未成年だぜ?」
「別に勧めてる訳じゃないけど勝手に飲むのを止める程
俺は正義感が強いわけじゃないよ」

敦賀は笑って俺は「悪い成人だな」と笑った。
特に乾杯なんてせずに、特に込み入った話もせずに俺達は下らない話をした。

思いの他、敦賀も普通に『青年』何だなと思った位に俺の意識は無くなった。気が付いたらベッドに寝ていて…携帯を見ればもう明け方で…

リビングに戻ったが誰も居なくて、片っ端から扉を開けると一つ鍵を閉めた扉が有って、微かなベッドの軋み音と寝息らしきものが聞こえたからアイツは寝ているのだろう。

起すのも悪いし、かといってこのまま朝まで居てどんな顔してて良いのか分からないからあちこち探して紙とペンを見つけ「ありがとよ、帰るわ」とだけ書いて
テーブルに置いておいた。

きっと朝日に照らされたら何かが覚めてしまうだろう関係だ。
一時の混乱と錯覚で――まるで友情が芽生えた様な気がしただけだ。

俺はアイツを敵視してた方がしっくりくるし
敦賀討伐!を自分の目の前に掲げて走って来たのだから。
そうして自分を高めて来たのだから、これからもそれで良いんだ。

玄関を出て閉まる扉を見る。
夕べも俺が入ってから敦賀はロックをしなかったから勝手に閉まると
思いながらも閉まってなくて何かあったら…と思うので
施錠らしき音が聞こえるまでそのまま待ってた。


エレベーターで玄関まで下りて、現在地はさっぱり分からないから
取りあえず歩いたが明けていく空がとても気持の良い気分にさせてくれていた。

暫く散歩。飽きた位にタクシーで帰宅。
誰も居なかった部屋は扉を開けると淀んだ空気がその身を揺らした。

思わず窓を開け放つ。そして最早馴染んだ家の香りを胸一杯吸い込み
同じく馴染んだクッションの薄い(敦賀ん家に比べたらな!)ベッドに飛び込んだ。

此処だって一般人の平均よりは良い所なんだがアレを見た後では少し褪せて見える。キョーコと住んでた家もそうだった。祥子さんの家を、此処を見て家に帰った時のあの惨めさが堪えた。

そんな事を思い出してる間に俺は再び夢の底へ落ちて行った。


【続く】




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