第九話


赤い世界で揺らめくキョーコの陰と存在。
その儚げながらにもしっかり在って動くその気配に
俺の気持ちは安らぎそうで、安らげなかった。



この存在に安堵し、依存してしまうと別れが辛くなる。
もう想いは自分の想像を遙か超えた量まで膨れ上がり
コイツとのこんな接触はいつかは終わる約束で在る事と言う事実を
受け付けかねる状態になっていた。

これからもこんな時間が送れると思い始めてる。
途切れる事無く、自然に…自然にこんな時間が…

――俺は馬鹿か。

キョーコがあちこちの埃を落とすのを横目に
俺はこの部屋に滞在する様になって一度も手に掛けた事の無い
掃除機に手を掛けスイッチを入れた。

驚くキョーコ。自分でもらしくないと思う。
泥にも埃にも塗れず、汗の一つも掻かずにしれっと我侭言って
人の上でふんぞり返るのが俺らしい。

――らしくない行動はきっと心の予防線。
嘗て来る別れの辛さを軽減する為の虚しい防御。

昨日の沈黙が想像以上に堪えた様で
目の前に居るコイツをからかうとか、いつもの様に接するとか…
俺のこのらしくない行動をアイツが如何思うか何て

そんな余裕はまったく無かった。

「俺を待ってる時、どんな気分だった?」
掃除機の騒音が邪魔をするのか俺が言葉を発したのは分かっても
俺が何を言ったのか伝わらなかったようだ。

聞こえ無くても良いと思って口を開いてた。
聞こえない方が都合が良いと思ってた、だから掃除機を敢えて止めずに話したんだ。
それでも少し――聞いてみたいと言う僅かな…これは何て言う思いなんだろう…

なあ、キョーコ…お前も同じ想いだったのかな?
今の俺と――

返事は無かった。掃除機が唸る。
俺は聞こえなかった、と半分安堵し、半分失望しながら掃除を続けた。

「…寂し…かったわ」

ガタン、と何かが落ちた。キョーコが手に持っていた本が床に落ち、
俺はいつもと違う空気を感じ、掃除機を慌てて止めた。

「寂しかったわ。ずっと、ずっと――私は寂しかったわ…」
「キョーコ…」
「辛くて、惨めで、苦しくて、寒くて――」
「俺は――」
「でも今になってやっと思うの――アンタを責めきれもしない。
アンタを追ってこの世界に来て――やっと自分のしたい事が見つかって
初めて寂しかった本当の理由が分かる様になってきたのよ、私。」

返す言葉は見つからないまま俺は話し続けるキョーコを見ていた。

「人の顔色ばっかり見てた。自分の事なんて何も見えなかった。
今、女優として役に向き合うとね…見えるのよ自分の姿が。
ああ、こう思ってるんだなとか、こう言うのが腹立つんだなとか。
こういうの嫌だけど、何処かでそれも楽しむ自分が居るな、とか色々。」

キョーコのたどたどしく紡ぐ言葉が酷く嬉しくて寂しかった。
ずっと俺に追いすがってた鬱陶しい子分を失った寂しさの様な…
一人の女性としてコイツが遠くに在る事の誇らしさとか色々混ざって
涙腺がぐっと緩むのを無理やり引き締めていた。

「有難う何て――言わないわ。悔しいけど――辛かったもの!
今でも赦せないけど――」

視線をずっと地面に落としたキョーコ。
言葉はそれきり途切れてしまった。
俺は何を思ったのかごく自然に「ありがとう」と言ってた。

それが何か気に障ったのか足元に落とした本をおもむろに摑んで
俺に投げつけてきた。

「なぁぁにが有難うよ!私はねぇぇ!アンタの所為でねぇぇ!」

俺は続けざまにあちこちに置いてあった置物とか
クッションとかを投げつけてくるのを受け止めながら

「俺だってな!俺だってなぁぁ!おめぇが来ねぇから――ッッ!」
――昨日辛かったから、、こんな思いをずっとしてまで待っててくれて、
有難うって言いたかったんだ。

「――何よ!」
「何でもねぇよ!」
「……一体…この間からアンタおかしいわよ…」
「俺がおかしくなっちゃおかしいかよ!」
「……おかしいのが…通常運行よ…ッ!」
「そりゃおめーじゃねーかよ!」
「アンタもよ!」

いつの間につけたのか照明がさっきまで赤かった室内を照らし
いつもの色に戻していた。

言い合いで興奮したのかキョーコの頬が赤かった。
きっと俺の頬も同じ様になっているのだろう。

「もう…帰らないと…」
「ああ…」

窓の外は深い紺色をしていた。

「いつもどうやって来てる…?」
「ここから暫く歩いて電車で…」
「送って…行こうか?」
「何故…?」

今までそんな事を言い出した事も無かったのに突然の申し出。
不審柄無い方がおかしいがキョーコはそもそもズレている。

それでも引っ掛かったのだからよっぽど俺は今おかしくなってるんだろう。
別にコイツが夜道で襲われて…とか思った訳じゃない。
コイツは怒らせると怖い。何か訳の分からない攻撃をしてくる。
チカンなんてする方が可哀想な目に遭うに決まってる。

――ただ俺は一秒でも側に居たくて…

「送っていく!」
「だから何故!」
「良いから!送って…ッ!」
「何故よ!聞かせてくれたって良いじゃない!」

ああもう。本当にッッ!――本っー当にイライラする!

「鈍いなッッ、本当!馬鹿だろ、馬鹿なんだろ!
むしろ嫌がらせか!ああ?復讐か!これが!」
「何言ってるのよ!そんな…」
「好きだって言ってんだろうが!」

どうせ空振りに終わると確信していた。
こいつにこの路線の話は認識出来ないと思ってた。
だからこの変な沈黙には大いに――大いに――

「もう――帰ら…なきゃ…」
「あ?――お、、おう…」
「送らないで…」

その言葉は俺への拒絶に聞こえた。
俺は呆然とするなかさっさと荷物を纏めてキョーコは出て行った。

「――また明日…」そんな言葉だけ残して。

俺はもうやる事も無く、一通り掃除道具を片付けると
冷蔵庫に冷えていたビールの缶を開けた。

クラッシュ音の後に聞こえるガスの開放される音。
一気に煽ると喉を通るその刺激に何か妙な達成感を感じ
その喉に残る苦味に明日への不安を喚起させられた。

何かが変わった気がした。
何かをやり切った気もした。
何一つ解決はしていないのにその日のビールは美味かった。

――この経験は芸の足しになるね

不意に敦賀の言葉を思い出し俺は思い切り…
久しぶりに思い切りギターに想いをぶつける様に
?俺?の想いを掻き鳴らした。


【続く】





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