第十三話




「尚が駆けつけてくれて…」
「うんうん」
「キスされて…」
「うんうん」



価値観が壊れ、不安になって、拒絶出来なくて…それを敦賀さんに見られて…
辛くて、気が付いたら彼らは私の知らない所で喧嘩していて…

尚は相変わらずで、敦賀さんはまるで壊れてしまった様に
その仮面の下に鈍く淀む…彼の姿を滲み出して…

あの光景を思い出す。ずっと泣いてた所為か涙腺がひりひりと痛い。
誰一人として笑って居ない状況、そして追い詰められたかの様に
じわりじわりと…今までのあの人との積み重ねた時間が…


――まるで嘘だよと…言わんばかりで…。


「キョーコ?…ねぇキョーコ?」
気が付けば私は知らない間に頭を抱えていて…

「ちょ!…ちょっと!しっかりして!」
空気がまるで寒天か何かの様に重く重く圧し掛かってきて苦しくて。

「聞こえてるんでしょぅ?キョーコ!」
違う…息苦しいのは空気の所為じゃない!喉…?違う、心臓…?違う。

何処を押さえても何も良くならなくて、ただ嫌に酸素が薄く感じて
心細くて、怖くて…

「私…怖くて…申し訳なくて…」
「ねぇキョー子…」
「如何したら良いか分からなくてっ…!」
「キョー子ってば!」
「もう私、全てから逃げ出したくてッッ!」

喉元を締め上げ、あまつさえ出てきそうな不安と居ても立っても居られない、
落ちつかない気分を自分でも持て余し、気だるい背筋を伸ばす様に勢い良く立ち上がった。

――瞬間


『パシーーン!!』


頬に鋭い痛みが走る。その変わりに心の中で溢れんばかりに吹き出る不安とか
苦しみとか心配とか…そんな雑念がすーーっと沈んでいった感じがした。

「落ち着きなさい、キョー子!」
私は頬を押さえ痛みを心に刻みながら彼女の言葉に黙って頷いた。

「男二人はアンタを一生懸命取り合ってる。心を痛めて、プライドを投げ出して、
敦賀さんに到っては…何か封じておきたい過去まで曝け出して…」

どうしてこう涙が止まってくれないのか、モー子さんが滲んで良く見えない。

「何だかんだ言ってもアンタが一生懸命頑張ってきたのを
ずっと見てくれてた二人よ?逃げ出して…失ってしまっても良いの?」
「どっちを選んでも選ばなくても失うじゃない!」
「だったら両方諦めてしまえるのね?」

「私は…ッ!」
私は思わずフリーズした。
そうか、この問題は結局の所そこに躓いてる…のか。

彼女の飾らない問いに不意を突かれてやっと気が付いた。
そこさえクリアになれば何かアクションは起せるんだ。

解決への道を…

「結局そこよねぇ?うん、何か思う事言ってみなさい」
モー子さんはクルクルと手でボールペンを回した後
私の方にピッとその先端を突きつけ私に問いかけた。

いつの間にか手元にはメモ。
私はまるで研究対象、例えばモルモットにでもなった気分だった。

「思う事…」
「例えば…そうね、様子の変わった敦賀さんを見て如何思った?」
「…免疫は出来ていたけど演技と思って見ているのと地と思って見てるのは
大分違って…怖かったわ」
「怖かっただけ?」
「何故…と思ったの。彼がこうなった理由が気になって…胸が酷く痛かった…」

モー子さんはノートを破るとそれらを綺麗に箇条書きにしていく。

「どんな思いをなさってきたのか…今までの彼は自身にとって何だったのか…とか」
返事が帰ってくる代わりにペンの走る音が室内に、まるで合いの手の様に響いた。

私はここに来て初めてこんなに自分の心を探ったと思う程、私は自らの内部に目を向けた。
ペンの相槌が言葉を引き出す。どんな言葉よりも今はその音が私の思考を明確にさせた。

ああ、そうか。だから尚は嫌がったんだ。
私、いつだって人の事ばかりで…自分の心さえ見てみぬ振りをしてたんだから。

自分の本心さえ掴めない、まるで実体の無い何かの様な私が幾ら「好きだ」と
追い回した所で…得体が知れない、伝わらない。自分が自分を見失ってるんだから
相手に感情など伝わる筈が無いじゃない。

地面に足が付いて居ない私が幾ら跳躍しようとしたって…
飛べる訳が無いじゃない…ねぇ。

だから【今】の私なんだ。自分を見ようと模索し始めたから…
それでも演技と言うフィルターを通して、時には逃げて…
今やっと…私は私に真っ直ぐ向き合えた。
切羽詰って…失ってはいけない何かを失わない為に。


【私】はこんなに近くに在ったんだ。


「尚を好きなのは…」
――何だかんだ言ってもずっと傍に居てくれたから。

「敦賀さんを好きなのは…」
――いつも前を向ける勇気をくれるから。

言葉にすればこんなにちっぽけなモノになってしまうその感情を
伝えられないもどかしさに拳を握った。

モー子さんはまるで聞いてないかの様にペンを走らせ、私の一語一句を書き留め
そのメモを読めとばかりに机に広げて見せた。箇条書きのそれは酷く淡々として見えた。



【続く】








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