第三話



この場に相応しくない顔をしている自覚のある私は
自然に足が急ぐ。


自然に…走らない様に…なるだけ優雅に…

そんな事を心の隅で思うものの顔を伏せ俯き、早足で歩く私に
優雅さなど出せる筈も無い。

もう滅茶苦茶で…自分の何もかもが嫌になって
涙がどんどん溢れて止まらなくて、目の前がぼやけて仕方ない。

急いで、急いで…知った顔にこの異質な自分を見られぬ前に
個室に急ぐ私は自分の運の悪さをこの時程恨めしく思ったことは無かった。

お手洗いには列が出来ていて、その傍には従業員用通路の入り口があって
そこからベルボーイが何やら大掛かりな物を乗せてカートを押して出て来ていた。

視界のぼやけた私はそのカートにぶつかったけど
重い物を乗せていたのかカートが倒れる事は無く、
謝ろうとボーイさんの顔を見て私は悲鳴を上げそうになって…

「ちょ!声上げるなよ!」

耳元で馴染みの在る忌々しい声がする。
その忌々しい声の主はカートをくるりと一回転させると
従業員通路その頭を差込み、「ついて来い」と顎で支持した。

私はもう抗う気力も無く、そっとその後をついて行った。

この顔を隠せるなら何処でも良かった。
あの人に会わないなら誰の傍でも良かった。

いえ、こいつと話す事で私は再認出来るかも知れないと言う一縷の望みが
私の頭に過ぎっていたのもある。

人に求める事の虚しさを…傷つく事の痛みを…
錯覚で過ぎた時間の無意味さを…

こんなにも結果の出なかったこいつにもう一度…

私の歩幅など気にもせずにさっさと歩いていく背中が
急に立ち止まり、私はその背に思い切り顔をぶつける事になった。

「…何よ!立ち止まるなら立ち止まると!」
「ここに入れ!」

開かれた扉の中は鬱蒼と暗く、倉庫なのだろうか
色んな食器や機材が所狭しと並んでいた。

「こんなに物が多いのに埃が溜まってない…」
気を紛らわせる為に言った事だけど我ながら無意味な言葉だと思った。
こいつに他愛も無い世間話を吹っかけるなんて…弱ってるわね、私。

「んな事よりアイツはどうした!」
「…アイツ?…ってか何でアンタがこんな所に居るのよ!」

忌々しい幼馴染である尚は嘗ての様に壁に私を追い込もうとしていた
その顔を不意に背け、頼り無い証明が照らすアイツの髪がさらりと流れた。

「俺の質問、聞いてるのか!居るんだろ!あいつ…」
「だから誰の事よ!」
「また迫られてるんだろ!」
「何もされて無いわよ!私が勝手に…!」

勢いで出す言葉に良い成果はついて来た試しが無い。

「お前が…アイツに…?」
尚の顔が青ざめる。
「何も無いわよ!」
「好きなのか?…あんな事されて…困ってたんじゃねぇのかよ!
またお前が危ない目に遭うんじゃないかと思って…俺が馬鹿みたいじゃないか!」
「敦賀さんがどんな危ない目に逢わせるって言うのよ!アンタとは違うんだから!」

呆然と固まる尚の顔を見ながら私は自分の事を防御する言葉を考えていた。
性懲りも無く男に現を抜かして…きっとそう笑われる。
優しくされたらすぐ落ちる馬鹿女…その通りなのかも知れない。
相変わらずの夢見がち…

私はそんな言葉の数々にどう対処すれば良いのか
まったく考えもつかなかった。

「…ビーグルじゃ…無かったのか…」
「…え?」
「モー子さんとか何とか…またお前が危険な目に遭ってるんじゃないかって俺を
責めたんだ…俺はそんなの知らなくて、またお前が…」

尚は言葉を切って大きく息を吐きながら顔を両手で覆った。

「心配して…潜伏して来たの?」

返事は返って来ない。予想外だった。
私の無意味だと思ってた時間は…

――無駄では無かったとしたら…私は…どうなる?

バラバラと自分の積み上げてきたものがまた…
幻の様に消えていく様な感触がして背筋が冷たくなった。

ショーちゃんが全てだったと思っていた世界が壊れた時もこうだった。
愛だ、恋だと言う戯言を省いた無駄のない完璧な世界も…

だったら一体私の世界は何処に在ると言うのか…

「おいキョーコ…?」

涙がまた…

「ちょ!おい、どうしたんだよ!」

尚の声が遠い。

「おい!キョーコ!しっかりしろって!」

不意に体がぐっと抱きしめられる。
温かい温度が体に染みる。

「止めて…よ…」
つき返す元気など無い。馴染みの香りが懐かしくて
少し落ち着いて…そんな自分も含めて嫌な接触だった。

「お前がそんなだと俺は如何して良いか分からない…」
「いつだってつっ立ってたわよね…」
「五月蝿いな…」
「何もしてくれなかった癖に…」
「だからお前は俺から…」
「…え?」
「…別に…今こうしてしているだろうがッ!」
「遅いわよ…」

しょうが私の顔を覗き込む、私もじっとその目を見つめ返す…
その先にあるものなんか…私には分からない…

…そんな筈は無いのに逃げる事が出来ない私は一体何を考えてるのか
自分でも良く分からなかった。

何も分からず、昔と少し変わった…変わらない幼馴染の腕の中で
私は…体の力を抜いた。分かっているのは懐かしいその香りが
尚のだと云う事ぐらいだった。



【続く】





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