第四話



――大好きよ、ショーちゃん!


――御伽噺は全部、王子様とお姫さまがキスをして幸せになるのよ…


――勿論、私がお姫様で王子様は…





脳裏の端に蘇る若かりし過ちの日々の欠片。
あの時の私がこの状況を見れば間違いなく
飛び切りのハッピーエンドと思うだろう。


こんなのって無い…。
頭が混乱して何が如何とか分からない。
ただ私は彼の顔をただじっと見ていた。

顎が指で引き上げられそっと近づく顔に
懐かしさと過去と今の痛みがこみ上げて立ちすくんだ。

不意に背後にある壁を通して声が響くのが聞こえ…
私は更にその声に固まり…何も考えられなくなった。

「そこの倉庫隠してあります。大きいので他に隠す所が在りませんで…」
「ご心配をお掛けしてすいません。本番前に確認したい事があって…」
「…名高い方は偉そうにしているものとばかり思ってました。」
「…はい?」

「自らこんな仕掛けを用意されるなんて、気さくな方だな、と思いまして…
失礼な事をすいません」
「いえ、嬉しいですよ。それより此処ですか?」
「はい、その扉を開けてすぐの所に…」

壁が…振動する。声の主が扉を開けて入ってくる。
こんな時に…顔なんて合わせられない、何も言葉なんか出ない

だから私は…尚の体を盾に隠れるつもりで
その胸元を掴み、引き寄せ…体を下に潜らせた


…つもりだった。


引き寄せられた腰が切なく軋む。
顎を掴まえられ身動きの出来なくなった頬に…唇に…
あの時には無かった温度がじわりと侵食した。

チョコレートの取り合いの時は気を紛らわせるものが在ったから
その行為自体の記憶は薄かった。

けれど思いがけない彼の行動が…今までとの温度差が…
無駄と思って切り捨てた時間…そのぽっかり空いた穴が塞がった感覚が

私にその行為を覚える余裕を与えた。
唇の薄皮伝いの熱さが、ついばまれ、皮膚同士が滑りあうその摩擦が…
ささやかな吐息の掛かる感触が…

彼が男だったと云う事を今更ながら思い出させていた。

「お取り込み中ごめんね、すぐに出て行くから…」
何事も無かったかの様な敦賀さんの声が酷く遠く感じた。

「いえ…」
尚がたった一言そう言いながら片手で帽子を更に深く被った。

足音が止まる。気まずい沈黙が部屋に充満する。
そして暫くの後に方向転換した様な足音が聞こえ…
ゆっくりと扉がしまった。

尚が笑った。私は不安になった。
波に呑まれ何処が水面か分からなくなった様な感覚だ。
何が良くて、何が悪くて、何処が前で、何処が後ろだか…
もう完全に見失ってしまった様だった。

敦賀さんが居なくなった事で気が緩んで
背中を壁に押し付けたままスルスルと滑り落ちてしまった。

「二度目だな…」
「…これは…キスじゃない。あれもキスじゃ無かった」
「どういう…」
「出て行って…」

尚は困惑顔で私に手を差し伸べ、私はそれを弾いた。

「出て行って!出て行ってよ!今すぐ!」
「何を…」
「出て行ってよ!もう…一人にして!」
「そうしたら後から来る敦賀にお前はなんて言うんだ…?」

彼が何を言ってるのか分からなかった。

「今、あの人は…」
「アイツは気が付いてたよ」
――こっち見て、馬鹿みたいに固まってた。


頭から冷や水を掛けられた様な気分だった。
言い訳にならぬ言い訳を頭の中で沢山並べ立て、吟味した。
半面、どうせもう壊れる世界だと諦めてもいた。

「…出て行って…」
「こんな首輪付けたからって…キョーコはあいつのもんじゃねーよ」
「あんたのもんでも…」
「…なくなったな。だから欲しくなったんだ、キョーコ。誰の物でも無いお前が
俺は欲しいんだよ。誰の束縛も受けないお前がな」

結局、そんな私など居ないのに…また無意味な想いに呪縛され始めてるのに…
彼は何に対して「欲しい」と言っているのか…。

疲れ果てた私はただ静かな時間が欲しくて「出て行って」を繰り返し
彼はとうとう出て行ってしまった。


何も考える事が出来ない。何も感じない。
私はただ朦朧と目の前の壁を見つめるだけだった。

あの日から消えない大きな手の感触と温度に感覚を研ぎ澄ませながら。

敦賀さん――

私、もう如何したら良いのか…自分の道を見失ってしまいました。




【続く】






駄文同盟.com 花とゆめサーチ

inserted by FC2 system