第五話



「時間だわ…」

独りきりの倉庫で言葉を発しても
誰からも返事が帰って来ることが無い位は流石の私にも分かっていた。



でも声を出したかった。そうでないと動ける気がしないから。
本当ならここにずっとこうして篭って居たいけど…

出演者が居ないとなると大騒ぎになる…
何もかも見失った様でも自分の立場を弁える事は忘れては居なかったようだ。

少なくとも仕事は私事とは切り離して然るべきと
子供の頃から教えられてきた私には骨の髄までその教えが染み渡っていた。

とりあえず化粧ポーチから簡単にメイクを直し
ゆっくりと立ち上がると泣きすぎた所為か頭がズキズキと痛んだ。
そっと頭に手を添えながら歩き始めると視界がまだ少しぼやけたままで
まるで悪夢の中に彷徨っている様な現実感の掛けた世界に見えた。

「夢なら良いのに…」

そう…全部夢なら良いのに…と心底思った。全て虚像で、
目を開けたらいつもの日常があって…私は…なんて。

現実逃避をしても何も変わらないわね、きっと。
こんな時こそきっとローザ様が必要なんだろうけど…
石と鎖の冷たい感触が思い出させるものが怖くて開けられない。

どうして自分の事なのに制御する事が出来ないんだろう
手だって足だって動かそうと思えば幾らでも動くのに
気持ちだけはいつだって脆弱で…いつまでたっても自分の気持ちさえ自由にならない。

ぐっとノブを握り、扉を開くとそこには誰も居なくて…
時間に遅れる訳には行かない私はそそくさと通路を抜け会場に戻った。

馴染みの顔が並ぶ。私も紛れる様にそこに並ぶ。
敦賀さんは…まだ居ない。

それを安心出来れば心は落ち着くと言うのに
居ない事がこんなにも落ち着かないのが辛い。

そっと近づいてくる百瀬さんの気配がした。
優しい彼女の事だからきっと酷く心配してくれていたのだろう。

「…調整出来た?」

ほら、彼女はやっぱり優しい。

「ええ…」

だから私は嘘をついた。これ以上巻き込むのは彼女の気分をも下げてしまうし
何より、言ってどうなる事でもなかったから…。

会場のざわめきがより一層大きくなる。
扉に人が集まる。何が起きたのか見なくても分かる。
あの人のご入場だ。

監督と百瀬さんが私の横顔をちらちらと見ているのが分かる。
話の流れ上、私が泣いていた理由が彼に在る事に気が付いているから…
私はそんな二人の視線を敢えて気が付かない振りをして敦賀さんが居る方向とは違う方を向いていた。

視界から外せばより一層胸の中で大きくなる存在…

――アイツは気が付いてたよ
尚の声が頭に響く。視界が尚で一杯だった私には
その言葉の真偽は分からない。でももし本当だったとして…

軽蔑されただろうか…。

何度同じ思いを繰り返せば良いのだろう…。
このドラマの撮影の時もこんな事で敦賀さんに必死で言い訳をしていたけれど
『すぐに意見代えをする意思の弱い人間』と思われたくなくて…

…結局私の言う『自分』は人の視線を意識しただけの姿で…
いえ、違う。

あの人に認められたくて…軽蔑されたくなくて…
『信頼できる人間』で在りたかった…いえ、違う。
『仕える後輩』になりたかった?…違う。

ああ、やっぱりあの時と同じだ…
ただ『傍に居たかった』だけだったんだ…。

傍に居て…触れられて嬉しくて…
一言一句が気になって…

それを恋心と言うのだろう。箱の中に閉じ込めておく筈だったものだろう。
今までならそれを否定するのは容易かった。

失敗例があったのだから。
でもその失敗が強ち失敗ではないとしても…
私はこの思いを認められないでいる。

気が付けばパーティーは進行し、主役から順番にマイクが渡され挨拶を終わらせていた。
誰が何を言ったかなんて聞いていなかったものだから
何をどういって良いのか探り探りにぎごちなく言葉をひり出した。

全員分の挨拶が終わり、揃って頭を下げた。
ゆっくり頭を上げると場の空気はふっと柔らかくなり
皆が表情を和らげて再び飲み物や食事を手に取り始めた。

「キョーコちゃんは制服なんだねぇ」
「地味なんですけどこれで良いって…」
「うんうん、若い内は変に着飾らなくても制服で…」
「着飾らなくてはならない年の私が通りますよ」と飯塚さん。

皆がいつもよりリラックスしてその場を楽しんでいた。
私も少し気持ちが楽になった。

ちらりと見た敦賀さんは沢山の人に囲まれて
私の事なんか何も気にして居ないように見えた。

時間がゆっくりと進む。
楽しいとも楽しくないとも付かない時間だった。

「…ではビンゴゲームを始めましょう、敦賀君」
「はい」

先輩が立ち上がり、ボーイさんが大きな紅い布を被せたカートを押してくる。
敦賀さんはこの映画のお陰で大きく成長をさせて頂いた事のお礼を
関係者に向けて発し、そしてそのお返しに用意しました…とカートに掛かる布を
思い切り引いた。



【続く】







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