第七話



立ち止まる敦賀さん。振り向かない。
私は持った裾を離せない。
会場は各々に与えられた景品に夢中でこっちを見る者は少ない。

意識せざる負えない人しか見ない。
緒方監督…百瀬さん…そして社さんから視線を感じる位だった。

矢張り軽蔑されてしまったのだろうか…またあの軽井沢の時の様に
社さんから見て異常を察知できる程、私はこの人の気分を害されてしまったのだろうか…

自分の行動さえ制御出来ないと言うのに
また評価ばかり気になってしまう自分に嫌気が刺していた。

「それでは用意してくれた敦賀君に拍手を…」
司会の人がそう言った。視線が一斉にこちらを向く…と思った瞬間…

私が掴んでいた手を振り払い、
彼は皆に手を振りながら出口へ颯爽と歩いていった。

一瞬の出来事だった。弾かれた手がじんじんと痛んだ。
彼が向かった扉がボーイさん達によって開かれ、その開いた空間に身を滑らせた彼は
振り返り…一瞬だけこちらに向かって手を差し伸べようとした…気がした。

扉は閉まり、残像だけが扉に残り、
私のすぐ傍には先程まで立っていた先輩のミステリアスな香りが
今もまだそこに居るかの様な錯覚を起させていた。

あれも錯覚だったのかも知れない…
そうで在って欲しいと思う気持ちが見せた夢の様な…

一瞬だけだったもの。
綺麗に…優雅に微笑むあの人が立った一瞬見せた顔が…
こんなに悲しそうに見えるなんて…

悲しいと思って欲しいと…

閉まり行く扉の中で振り返ったあの人が
ずっとポケットに突っ込んでいた手をゆっくりこっちへ伸ばした様に見えたのも

人目があるから冷たくしただけで…
本当は…


………本当は?


思考が霧散した。答えまであと少し、という所で
何を導き出そうとしていたのかが分からなくなってしまった。

もどかしさに両手を握る。
早く答えを出さないと大変な事になるような予感がした。
往々にして私のそういう予感は悲しい程良く当たる。

私は…私の体は無意識の内に
敦賀さんを追い、彼の消えて行った扉を開いた。

「閉めて!」

社さんの声が宙を切った。
私は驚き、慌てて後ろ手で扉を閉じようとした。
流石に豪華な造りの建物だから扉はどうしてもゆっくり閉まる。

まるで空気を挟んででも居る様に閉まるのに抵抗が在る。
それでもずっと体重を掛けているとゆっくりながら扉は閉まった。

言葉が出なかった。
床には口から一筋の血を流した敦賀さんが座り込み、
尚が同じく血を吐いて寝転がっていた。

「どうして…」
間抜けな話だけどそんな言葉を出すのが精一杯だった。

敦賀さんはカインの瞳で尚を睨みつける。
尚は唸り声も上げずにただじっと敦賀さんを見てる。

動かない景色、何か糸口を見つけようと
彷徨わせた視線の先に居る社さんは黙って首を横に振るだけだった。

「とりあえずこのままじゃ不味いよ。何処か場所を移さないか?」
社さんの声が虚しく響く。

そこへ誰かが走って来る様な忙しない布擦れ音が響き
長い髪をなびかせて走ってきた女性が居た。

「尚!…貴方……」
彼女は尚の傍に立ち周りを見渡すと大きな溜息を付いた。

「状況が分からなくて…謝るべきなのか如何か…」
祥子さんはそう言って困惑顔で社さんと私を見た。
私も祥子さんと同じ様な顔でゆっくり首を傾げ、
社さんは何か考えに耽る様な顔でゆっくりと頷いた。

「場所を移動しましょう」
社さんが言うと祥子さんは頷き、尚の脇に手を入れ、引き起こそうとした。
その手を手荒く振り払うと自分で立ち上がり…尚はまだ座ったままの敦賀さんを
酷く睨んだ。

こんな顔、見た事が無かった。
幼馴染で長く傍に居た筈なのにまるで知らない人の様に感じた。

尚は少し足をふらつかせると一つ、二つ咳をしたその反動でまた少し血を吐いた。

「…尚ッ!」
祥子さんは小さな悲鳴を上げる様に彼の名を呼んだ。
「…るせぇ…」
尚はぶっきらぼうにそんな祥子さんを抑止した。

ふと切なげな顔をした幼馴染のマネージャーはバックからティッシュを出すと
床に零れた血を拭い始めた。

「手伝います」
社さんも胸元に手を突っ込んで加勢しようとしたが
「誰にも見つからない内に移動をお願いします。後で追いかけますので」
祥子さんはそう言って達観に満ちた顔をして床を拭き続けていた。

「行こう、さあ…」
敦賀さんに社さんが手を差し出すとこっちもまた…

初めてこんな荒々しい彼を見た気がした。
今まで理解できていると思ってた敦賀さん像がまるで幻の様に崩れた気がした。

手を払われた社さんは少しの間呆然としていたが流石仕事人と言った所だろうか
「じゃあさっさと立ってくれ」と厳しい口調で言い…二人を促してホテルの一室に
従業員用エレベーターに乗って移動した。

社さんが祥子さんに連絡を入れた。
追いやすい様に部屋番号を伝えたのだろう。

部屋の中の空気は酷く重苦しく、私は何となく居心地が悪くなり
窓際に立ち、外を眺めていた。

敦賀さんの隣に社さん、その向かいに尚、そしてその隣の椅子は空席…
当事者二人はにらみ合う。取り繕う様に「疲れただろう?二人とも…」何て
敢えて関係の無い話をする社さんの想いは一方通行だった。

再び沈み込む空気、どうにも動かせない静けさを
最初に破ったのは尚の方だった。




【続く】




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