第十二話







―――コンコン…



「入って…貰えますか…」


思いも寄らない優しい言葉にノックした本人である女が
少し後ずさる…その背を恋人である彼がそっと押し
その部屋の内部へ導いた。

あの事件から何年か経ち、恩人にも少しの恩返し…
結婚式のプロディースを終え、それからも何年か経ったある日の午後。

あれから二人は有名人の集まる恩人の式でのプロデュースが評判になり
彼ら二人…そして二人を支えた研究チームは一躍有名になり

一時期 製薬会社の研究者のトップに居た彼女が逮捕により
失墜していた信頼がその事と、本人の謙虚でひた向きな研究姿勢と
態度がよかったのか…犯罪者をカムバックさせるなんて…と
怪訝な顔をしていたトップや株主…そして周りで働く人間も
また、彼女を信頼し始めた。

そもそも理由あっての事。まき沿いになったとはいえ
元々尊敬され、崇められていた彼女が時の流れと努力の力で
また、再起できる事なんて簡単な事だった。

根が真面目だからあぁなったんだ…
完璧無比でも…人間だったんだな…

薬を盛られた同僚も彼女のその隙が面白かったのか
口々にそう言って研究の合間に彼女をからかう…その表情は
誰も責めている表情では無かった事を女は罪悪感を感じながらも
ありがたく感じ、彼らを大事にした。

今までずっと回りに牽制をかける様に冷たい話し方をしていたのも
全ては復讐の為で…本意では無かったから…優しく話すようにもなった。
まるで肩の力が抜けた様に…優しく空気が緩んでいるのを感じた。

私は罪人なのに…そう思うとちくりと痛む胸…
その罪悪感から…これからは人に真っ直ぐ向き合って行こう…
皆が赦してくれた様に私も……今与えられた全てのモノを
大事に大事に守っていこう…そう決意をさせていた。

そんな中、急な呼び出し…しかも社長室だなんて…
憎い親の敵…でも愛する人の親……
逢いたい…でも顔も見たくない…

長い長い廊下を歩く足も心なしか重く、その道のりは長く感じた。
罵倒されるのだろうか…研究を盗む様な卑劣な奴だ
どんな暴言を吐いてくるかわからない…手酷い事を言われ
会社を辞めろ!などと言われたら…その時私はどうするだろうか…

隣を歩く男を見ると優しく微笑むその顔を見て
彼を苦しめたくない……なるべく穏便に済ませたい…
そう思い、不安を吐き出すように深く大きく深呼吸をして
その大きな木のドアを叩いたのだから…



その部屋に入るなりその部屋の一番奥の机に座っていた彼は
すっと立ち上がり私の前へ立ち、ぐっと何かを堪える様に
顔をゆがませた。

「来てくれて…ありがとう…」そう深々と頭を下げる彼を
思わずポカンと見つめていると彼の肩が震え出した。
俯いたまま上げない顔…不審に思い覗き込むと
不意にその瞼から雫が落ち、その雫が床に張り付いた。



「え……」




余りの事に言葉も出ず、ただその様を見てるしか出来なかった…
瞬間彼が自分の足元に手を付き、土下座をした。

「済まなかった…済まなかった…赦してくれなんて言わない…が…
済まなかった……」
そう床に頭をこすり付ける様に何度も何度も謝った。



「どうかしていた…ずっと思っていた…何故あんな事をしてしまったのか…
今でも…後悔していた…」




途切れ途切れの声…その悲痛な叫び…



なんて返したら良いか分からずに
彼から離れ…彼の先ほどまで座っていた机にフラフラと近寄ると
その上には見覚えのある…写真の入った写真立てがあった。

その淵は手垢で汚れ、何度も何度もその写真たてを持ったのだろう…
古びて黒くなっていた。



埃一つ溜まる事無いその写真たて…が物語る彼の心…



ずっと…後悔していたのだ…この人は…
毎日この写真たてを眺め、研くほどに…忘れる事無くずっと…
父を覚えていてくれたのだ…罪悪感に打ちひしがれていてくれたのだ…




だったらもう……





良いね?…お父さん……





彼は本当に…お父さんの‘親友’だったよ……




何度も何度も床を舐めるように謝る彼の背中を後ろから抱きしめ
「もう良いです。もう…父はきっと笑って…赦してます…」
そう言って何度も何度もその背を撫ぜた。

「大事な親友だった…出来心の所為で…つまらない嫉妬なんかで!俺は!俺は!」
そう床に頭を何度も叩きつけるその頭を無理やり上げ…
「ご自分を赦してください…父はきっとそう願ってます。」
そう背を撫ぜ立ち上がってくれない彼を何とか立たせたいと
彼の息子である恋人を見た…



…が彼は自分の思いとは裏腹に少し考えると口を開き…

「あんなに貴方を愛していた母さんを捨てたのも…何か関係が?」


そう冷静に父親を問い詰めた。


「母さんは…ずっと貴方を信じている。自分に酷い事を言ったのも
何が事情があっての事だと。…今でも…父さんの事を……」



確かに彼の苗字と彼の父親の苗字は違う。
だから最初…彼がこの血縁だと分からなかった訳で…
何となく…彼はその事を触れて欲しくなさそうで……
私も気にならない振りをしていたが……


問われた本人はあまり言いたくなさそうに
「俺だけ…幸せになるわけには行かない!…愛してしまったから…別れた…」
そう吐き捨てる様に言う…

私はその言葉にふと怒りがこみ上げ、つい口を挟んでしまった。
「だったら…もう…戻られたらどうです?奥様の元へ…
それが償いと思いませんか?」
「そんな訳が…」
「親友のそんな苦しい姿見て…死んだ父が喜びますか?…逆に貴方なら…
喜べますか?」

「………………」
「貴方が父なら…貴方が報われない事を心底望むとでもお思いですか?」

そう問いながら自らを省みる。
ココに来て初めて気が付いたこの人と父の固い…固すぎる絆…
父は彼を憎んでる…そう思ってた。でも…そうだろうか…
こんなに…父を…自分を思って苦しんでくれる人を…
分かっていて、憎みたくないから…苦しかったから…逃げたんじゃないか…?



そんな事を少し思った。



父の机にもあった彼と…その学生なのか…仲間達を肩を組んで
笑っていた写真は…父の机の上でも綺麗に飾られていたな……

憎しみに燃えていた自分の目ではそんな事さえ気づかなかった事に
今更気が付く愚かさに思わず苦笑すると床に伏せる彼の背中をもう一度抱き…
「幸せになって下さい…それが父を踏み台にしてしまった貴方の義務です。
父の分も幸せに……そうでないと…苦しんだ父が…何のために苦しんだのか…」

そう自分も涙で声を詰まらせる。それ以上言葉が出なかった…
彼は嗚咽を上げて泣きながら…何度も何度も頷いた…

そしてその泣き潰れ…目を真っ赤に晴らした父の敵だった人の目の前で…
その息子にプロポーズされ銀の指輪を受け取った…

その姿を見ながら…父の敵はまた涙を流し
「ありがとう…」と何度も何度も繰り返した。





私は罪を犯され罪を犯し…赦され…赦した…
これからもきっと色々あるけど…前を向いて歩いていこうと思います…
幸せに…それが…踏みにじってきた自分への…周りへの償いで…
踏みじられてきた自分と周りへの慰めだと思うから…

こんな自分なんて幸せになる価値が無い…
そう格好良く自分を縛るほうが簡単な道…でも…それでは
‘犠牲’になった者は何のために犠牲になったのか……

屍を踏み越えて…その屍の分まで幸せに…
みっともなくても前に進むのが…生き残って居る者の義務だから…




ねぇ…お父さん?…それが正解よね?




そう問う先の空は今まで見たが事ない程
赤い赤い夕焼けだった。
不意に吹いた風が自分の体を包み…撫ぜたその感触が
昔、大好きだった父に撫ぜられた時のソレの様で…涙が溢れてきた。




そうだよ、よく分かったね…。




そんな父の声が聞こえた気がして…
胸が熱くなり…ただ空に向かって泣いた。



 
  * * *




そしてある日の朝…警視庁




【続く】



駄文同盟.com 花とゆめサーチ

 

 
inserted by FC2 system