第八話



何も言葉の出ないまま時は流れる。
面会室の鉄格子のはまった窓からは叩きつける様な雨のと風の音が
まるで二人の心の中の様に激しく荒れては温もりを拒絶していた。

ダダァァーーーーーーーーーーーーンッッ!!


一瞬の激しい閃光 カミナリがすぐ傍に落ちたのか地響きが鳴り響き
最上は体を縮め、敦賀捜査官はソレを心配そうに見ていた。
女はチラリと男の背後にある窓を見ながら呟く

「30m位先に避雷針が……そこに落ちたのね…」

目の前の相手に伝えるたいと言うよりはただの独り言の様に
ポツリと発声するその様を見て男は苦笑する。

「相変わらず冷静なんだね…」
「可愛げの無い女でしょう?ほんとに…自分でも驚くわ。」
「いや……俺はそういう所も……」

黙り込む男。雨と風とカミナリの音がその間を埋める。

「何しに来たのかしら…?私に構う理由はもう無いはずよ…」
「理由………」
「同情ならしないでね。私は―可哀想―では無いから。」
「そうじゃない………」

「じゃぁ…笑いにでも……」
「違うっっ!」男は目の前にある机を拳で力任せに叩くと女は眉間に皺を寄せ
「理解出来ないわ…」とため息混じりに呟いた。
「来るべきじゃ無かった…のかもしれない…俺にそんな資格など…」

「ちょと…貴方…何を言って…?」
「でも…どうしても…一目でいい…隔たりがあっても構わないから…」

―――――君の顔を…見たかった……

声にならない言葉…あふれ出した激情を女は察したのか少し取乱し始める。
「なぜ貴方がそんな……私は貴方に…貴方は私を……」
「懺悔をしに来た。卑怯だろう?来るべきじゃないと思ってた。だから仕事に
忙殺されて忘れてしまおうと思って…でも出来なかったんだ。そうして迷ってる時に
彼女が……そちらの話は彼女から聞いた」とキョーコの方を向くとこちらに向って
丁寧に頭を下げるその傍らには敦賀捜査官の姿が……

「お節介なペアね…」と優しくも困った顔で笑う女
張り詰めていた室内の空気がやんわりと和らいだ気がした。
「そうだね…でもそのお陰で君の顔が見れた…感謝してるんだ。」
「……それは…私には少し余計な事だったわ…」

「顔も見たく無かった?」
「そうじゃないわ…で、懺悔って?」
「……どこから話していいのか……君がそこに居る原因の全ては……」

男は目の前の防弾ガラスに手をつけ彼女の瞳を覗きこむ。
噛み締めた唇の端からは血が滲んでいた。いかにも研究者らしく
優しげながらも知性と情熱を冷静で封じ込めた様な風貌の男は
その整った顔を惜しげもなく苦痛に歪ませた…

「何故君がそこに居てっ!俺が外に居て!そこに居るべきは俺なのに!!
父なのに――――!!!」
何度も何度もそのガラスを叩く。分厚い作りのそのガラスも男の攻撃に
ただただ身を震わせていた。

しばらくして少し冷静になったのかストン…とその身を椅子に預ける男。

「ど…う…いう事?」
「君のお父さんと俺の父は同じ研究室でライバルだったらしい…
君のお父さんは優秀で…父は事あるごとに辛酸を舐め続けたらしい…
父はずっと嫉妬を持て余していて…お互い会社を立ち上げた後、出来心と欲…
自分の利益の為に君のお父さんの研究を…」


―――カラーーーーーンン………


彼女の手元にあったボールペンは床を転がる。
時が止まったように彼女の動作が固まる。


「父が酔っては俺にその話をしていた。後悔していると…大事なものを失ったと…
君と知り合ったときはその娘さんが君だなんて思いもしなかった。ただ君が時折話す
身の上話は父の話と激しく似ていて…父を問い詰めて名前を聞いた。
その時初めて知ったんだ……。
最初は父の非道で傷を負った彼女とその父に申し訳なく思って、
なにかと傍に居て罪を償おうと思い君にまとわり付いていた…
そして恋に落ちてしまったんだ。俺にはそんな権利も無いのに…」

固まったままの彼女…瞳孔は開かれたままただただ首を振る。
そんな彼女の様子を見ながら心の痛みにでも耐えるように
着ていたワイシャツの心臓らへんをぎゅっと握る男は話を続ける。

「深入りしてはいけないと…制御してた…だけど止められなくて俺は…
君で一杯になった。そして罪悪感が押し寄せて、自分の身の上を話せなくなった。
君が離れていくのが怖くて…君の優秀さが俺の嫉妬を煽る。
博士号を取る為の論文作成してる時にチラリと見えた君の論文…心のそこで思ったんだ。
俺の名前で送れば俺の名は世に広がると…若かりし父と同じ様な事を…

限界だった。嫉妬と罪悪感と激しい思慕が俺を締め付け息が止まりそうだった。
いつの日か父と同じ事をしてしまう……君の傍から離れるしかなかった。
でもずっと見てた…目を離せずに…君だけを……君が何かを企んでるのは知ってた。
知っていながら止められなかった…君が悶え苦しみながら会社に復讐をしていくのを
ずっと…ずっと見てた。同じ会社の手の届く距離で…

君は悪くない。俺が全て……止める為に君の前に現れて正体がばれて
決定的に離れられるのが辛かった。あの日…君が俺に薬を盛った…
俺に心があるからそうしたのだと思ったから…少しでも…君の中に残って居たかった

たとえそれが一時の夢であっても…君を深く愛してしまったから……
あの時の言葉は…薬の所為だと思ってたね?薬の所為にして…思い切り愛してると…
叫んだ。あれは…俺の心の叫びだった…俺はどこまで卑怯なんだ…!!
父が…俺が…君の人生を無茶苦茶にした…す…まなかっ…た…」

次第に途切れ途切れになる言葉。声がかすれて音よりも吐く息の音が大きくなる。
大きく頭を下げながら流れ出た涙は幾粒も床に音も無く滑り落ちた。
しばらくして彼女の方へ向き直ると涙を拭い真直ぐ見据える。

「君がこうなってから始めて言えるなんて…卑怯な事この上ないが…諦めきれない。
今でも愛してる。君しか要らない。言える義理じゃない事もわかってる!でも…
君が欲しい…少しの可能性でもいいから賭けたいんだ…ここを出たら…結婚してくれないか?」

長い沈黙…不意に彼女が席を立ち背後の監視員に声を掛けると
彼に背を向け出て行こうとする。

「待って!せめてもう少し…顔を見せてくれ!愛してる!愛してるんだ!!」
力任せにガラスを叩く。その振動は見守る二人の心さえも震わす程の激しさだった。
「待って!行かないでくれ!!傍に!君を…君を愛してる!!愛してるんだ!!
愛してる!愛してる!愛してる!…どうしたら伝わる!?俺の心は………」

彼の叫びは分厚いガラスを室内全体を振るわせる。
両手でソレを割らんとする様な彼にずっと背を向けていた女がクルリと振り返り
ガラスの向こうの彼に向き直る。

ガラスに張り付いている彼の両手のひらにそっと自分の手を重ねると
何度も何度もそれを愛おしそうに撫ぜた。
不意に彼の顔を見つめた冷静な彼女の冷たい顔がふと優しく微笑んだ。

そっとガラスに近づける顔…引力に引かれ地面に落ちる林檎の様に近づく二人の唇
ガラスに阻まれ感じるはずのない体温……感触が誰よりも近くにいた時の事を
体が覚えていたのだろうか?

彼女の声に出さない想いと共にそれがガラスをすり抜けて自分に伝わった気がした。
その面影に…蘇る感触に…温度に…その行為に……心が焼け爛れてしまうかと思った。
彼女を忘れる為に付き合った何人もの女性に申し訳なかった。

たった一つのキスにこんな重みがあるなんて……彼女以外に思いもしなかったから。

ガラスから離れた彼女の顔の微笑みは付き合っていた頃の…科学者ではない女の顔だった。
彼女がそんな顔を見せるのは自分だけで…。付き合ってる時には罪の意識か
そんな表情から目を反らせてしまっていたけれど……こんなに美しかったのか…彼女は…
まるでどこかで見た宗教画の…優しい優しい聖女の様な顔だった。

「私が出る日まで…直接触れれなかった事を悶々とすればいいわ、それが私からの裁きよ。」
「それは承諾とみて良いんだね!?」
「自分の頭で考えなさい。私が出るまでシンキングタイムよ。」

それだけを毅然と言い放つとさっさと背を向けて部屋から立ち去る女。
彼女がドアを閉めようと少し振り返ったその横顔には涙が光っていた様に見えた。

男は先程までそこに居た愛しい彼女の痕跡から離れる事すら惜しむ様に
ガラスに額を付け愛の言葉を繰り返し呟いていた。

閉まるドア、涙を流して疲れたので大きく深呼吸をして振り向いた先にあった窓の外は
先程とはうって変わって黒い雨雲の隙間から明るい光の筋が見えていた。
それはまるで自分達二人の未来の様な気がして男は思わず目を細めた。

背後で自分達を見守っていた二人に深々と頭を下げると優しく頷いてくれる。

「了承…してくれたのかな?…俺には信じられないよ。夢の様だ…」
「出る日までって言ってたんだろ?出てから逢う気があるって事だから…
きっとイエスだと思うが…」
「きっとイエスです。恥ずかしくて言えないんですよ、女の子は…本気の相手には…」

「それは良い事聞いたね。恥ずかしくて言えないって事は思ってはいるんだろう?」
「は…はいぃ?」先輩の思わぬ突っ込みに声が裏返るキョーコ。
「じゃぁ聞きたい時は恥ずかしいなんて思えないほど追い詰めたら良いんだね?(キュラキュラ)」
「なっなっ!何の話ですかぁぁぁぁ!!」

「そうか…二人はそういう関係か…面白いカップルだね。でも……俺は彼女が出てくるまで
寂しい思いをするんだから…余り当ててくれるなよ…寂しさに耐え切れなくなって
ここに日参して会社潰したらどうしてくれるんだ…」と男は苦笑するが、ここに向う時より
比べ物にならない程、満たされた表情をしていた。

それから敦賀捜査官とその部下の二人はその事件からは離れたが、
彼女はあれから前向きに捜査に協力し、彼が用意したのか有能な弁護士もついて
3.4年で出れるようになった。

そもそも殺意と認められる程の薬は使われてなかったし、彼女にそこまでの
気は無かった様だ。会社の信用を落とす為に内部で妙な薬を作ってると
周りに匂わす目的だけだったので若干気分が悪くなる程度だけ薬を盛っていたので、
健康には何ら問題なかったのだ。


そもそもが努力家な彼女の内面を知ってる被害者達もソレを聞いて安心したのか
集って算段を繰っていた訴えを取り下げたらしい。 
嵐が留まり曇っていた暗雲が風で散らされる様にあの科学者二人の未来が開けていくのを
遠巻きながら捜査官とその部下は喜んでいた。

彼らの進む先が絶対的な明るい道とは思えない。彼女は一度犯罪者になったのだし、
彼の父親とどう付き合うかも問題だ。それでも何とかなる気がするのは
あの日の刑務所から男の会社への護送中、真っ黒だった雲の合間から漏れる光が
幾筋も…幾筋も…それはまるで神の祝福の様だったからかも知れない。

そして時は経ち、彼女の出所したという話をキョーコが耳にした時には
敦賀捜査官の携帯にはしょっちゅう科学者からの電話が掛かってきていた。
キョーコに隠れる様にして話すその様を見て訝しがるキョーコの心が
チクリとトゲが刺さった様に痛んでいた。

「やっぱり優秀な人は優秀な女性がお好きなんだろうか…もうそろそろ…飽きられたかな…」



【続く】

【続く】


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