第九話



重苦しい朝…

小鳥のさえずりと共に起きて隣を手探りで探る。
幾ら探っても何も見つからないその先に驚いて身を起こす。

「あれ…居な…い?緊急の呼び出しでも…」そんな事を思いながら
キッチンに向かい、いつも通りの朝食を作り食べる。
襲い来る様な部屋の静寂はまるで自分を押し潰そうとしてる様な
そんな重みを全身に感じた。

卵焼きとご飯とお味噌汁に…ミキサー掛けた野菜ジュース
そんな味気の無い食事でも嬉しそうに食べてくれてたその姿が
まるで蜃気楼の様に前の席に浮かんでは消える。

最近はずっと早朝に帰ってきては少し寝て、また出て行く……
彼直属の部下に聞けばそんなやっかいな事件は無いとの事。

やっぱり飽きられたんだ…そう思うと次々流れ出す涙が
目の前のお味噌汁に小さな波紋を作り…そして消えた。
「気まずい事を言わせる前に…出て行かないとね…」そう呟くと
少しずつ自分の荷物をまとめる為に必要なダンボールを用意する為に
部屋を一つずつ見て回る。

一緒に過した部屋…初めての喧嘩…仲直り…そして日常の愛の積み重ね
その軌跡を辿るように物を持ち上げては直し…を繰り返す。
離れたくない…でも…出て行かないと…だって!彼の口から
「別れてくれないか?」なんて言われたら…もう二度と立ち直れないかも知れない。

不意に目頭が再び熱くなるのを歯を食いしばり耐える。
これ以上泣いたら…もう枯れて死んでしまうかも知れない…いえ…
彼の傍から離れた時点で私は…生きてるだろうか……

出勤時間が近づき、洗いたての制服を鞄に入れ、靴を履きながら
玄関からの景色を眺める。もうきっとあまり見ることが出来ないだろうな…
この景色…そう思うと何故か不意にお辞儀をしたい気持ちになった。

愛してくれてありがとう…二人に降りかかる雨露をしのいでくれてありがとう。
もう十分幸せでした…欲張りません。もう十分です…
本当にそう思った。それ程に彼は…この家は自分に暖かかった。
雨の日も晴れの日も…私の居心地のいい居場所だったから…

深々と頭を下げるといつもの靴を履き、制服へ着替える為に
署のロッカー室に行き、着替えようと靴を脱いだ…瞬間
足と共に一枚の紙が出てきてひらりと床に落ちる。
なんだろう…これ…そう思いながら拾い上げた紙に書かれたメッセージ。

―――君の事だから靴に仕込んだこの紙も気がつかずに
署に着いたりしてるんだろうな…気がつき次第××ホテルへ

これは…何かの暗号?そう思いながら制服に着替え
足早にその指定されたホテルに向う。
絢爛豪華なそのホテルは制服の自分が小さくなるほどの威圧感で
キョーコを迎えた。

フロントで敦賀捜査官の名を告げると「この度はおめでとう御座います」と
深々と頭を下げられ意味が分からず硬直してしまう。
そして促されるままに部屋に入り、促されるままにドレスに着替え…ん?
疑問に感じながらもどう聞いていいのか考えあぐねてる内に
メイクまで施されて見知らぬ…このホテルのスタッフに手を引かれドアを開ける。

真直ぐな赤い絨毯の道…その先に見えるステンドガラス…
黒い服を着て、胸元に大きなロザリオを下げた白髪の紳士が茶色い本を開くと
何処からかパイプオルガンが鳴り響き、厳粛な旋律が流れ出す。

絨毯の道の脇には沢山の木の長いす…そしてそれに座る沢山の人…
みんながいっせいに振り向き笑顔で拍手をしながら迎えてくれた。

なに…これ…これはまるで……結婚式……きっと何かの間違え…
そう思いながら立ち尽くしていると不意に手を取られ驚く。

「敦賀…さん……」
「とりあえず神父さんの前へ…俺の話を聞いて欲しい。」

真摯な顔でそう告げると私を導き歩き出す上司。
抵抗する雰囲気でも無かったので促されるままゆっくり歩き
神父さんの前へ付くなり彼は私に向き直り、手を取り私にこう話し出した。

「驚かせたくて…勝手にセッティングした事を許して欲しい…」
「これは何の…」
「信じてるから…きっと受けてくれると…」
「だから何の事です!」

「……キョーコ…俺の傍に居てくれるって言ったよね?」
「言いましたけど?」
「一生?」
「え?」

「奥さんになって欲しいんだ。」
「何…を…」
「一日一緒に居ても居たりない…一週間居てもまだ足りない…だから
もっと…一生一緒に居たら…流石に余裕が出るかな?と思うんだ。」

「何をおっしゃってるのか…」
「結婚してください、キョーコ。君と飽きる程傍に居たいんだ…」
「いつも居るじゃ…」
「もっと!」
「そんな…私なんか……」
「もう卑下はいい!お願いだ。もう離れるなんて…考えられないんだ…」

急に前が見えなくなった。
何か言わなきゃ…と思うのに…胸が一杯で……何も言葉が出てこなかった。
傍に居たい!傍に居たい!私だって…離れて生きていく自信など無かった。

嬉しくて…嬉しくて…もう壊れてしまいそうで…
ただただ私は頷きながら嗚咽を上げて泣くだけだった。

あちこちから拍手と「おめでとう!」の声が聞こえる。
もう頭が真っ白で…それから何がどうなったのか覚えていない。

ただ神父さんの問いに「I do」と答えた事と…
最前列の長いすに居た同棲までお世話になっていた下宿先の夫婦と
……ヒズリ警視総監が座っておられたのだけはわかった。

何故こんな大物がここに…そんな事を思いながらも
突然の展開に真っ白なままの私は何をどうする事も出来ず、
手を引かれるまま教会を後にし、控え室へ通された。

二人きり…今や自分の夫となった恋人を見つめる。

本当なら「いきなりこんな事するなんて!心の準備というモノがっっ!」
と怒りたい気も無くは無かった。

でも……
飽きられて…終るだろう…という気持ちで沈みきった心でいた後の
プロポーズ…挙式……その急展開に感情が付いてきていない…
いや……

以前先輩がある事件の時に言っていた言葉。

――感情が自分の許容範囲を超えた時、人は無に感じる時がある。
犯人の状態は…………


感情が許容範囲を超えた…?私は……

「幸せすぎている様ですね……何も感情が動かないです」
「そう…では今の内ならそんなに驚かないで貰えるかな…」
「何ですか?」
「俺はいつも親の話をされると誤魔化していたよね?」

そう、いつだって誤魔化されていた。だから尚更思った。
自分達は先の無い関係…きっとそう思われてると……

「怖かったんだ。俺の両親………」


―――コンコン……

「久遠、入っても良いか?」
「………どうぞ」

そう言われ、ドアを開けて入ってくる……ヒズリ……総監……
久遠って?何?誰?何が起ころうとしているの?

本当なら自分の様な下っ端がお会い出来る方ではない人。
金髪をかき揚げながら飄々と控え室に入ってくる様を
どんな顔をして迎えたら良いか分からないまま唖然と見ている…と

「キョーコ…今日はおめでとう。署で見かけた時とは段違いに綺麗だ。」
「…勿体無いお言葉で。お忙しい中、私たち二人の為にわざわざ時間を
裂いてくださった事を感謝しています。ヒズリ総監…」

無理やり言葉をひねり出してそう深々とお礼を告げると
額を手で押さえ、高らかに笑う総監。
「いやいや、もう親族なのだから…‘お父さん’と呼んで欲しいな。」
「は?」

意味の分からないその言葉に思わず夫となった敦賀捜査官を見ると
「あちゃー…」と言わんばかりに額を手で押さえていた。

何?この感じ…何か良からぬ事がありそうな……

「実はね、キョーコ…俺は総監の……」
「息子だ!愛する息子だ!」
「今は静かにしてください!父さん!」
「久遠………」

情けない顔をする総監に微笑み、自分に向き直る告げる
世にもめちゃくちゃな話……ハーフ?総監の息子?成長の妨げにならない為に
身分を偽って…?これは何?一体何のファンタジーよっっ!

「全て真実だ。でも君には…本当は俺の口から……」
そう言って隣に立つ総監を軽く睨む捜査官に笑う総監…
きっと嘘は言ってない…言ってないだろう……ただ、
頭が全然ついて来られなかった。

「す…いませ…ん…お二人…に…大変失礼ですが一人に…して頂けますか…?」



【続く】



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